自分の内面を見つめ直すこと(富士宣言シンポジウム その4)
さて。だいぶ間があいてしまって、私の記憶も定かではなくなってきたところもあるんですけれども(笑)、その分自分の深いところを経由して出てくるもの(なはず)なので、それはそれで面白いかなと思って書いております。
セッション4のテーマは「内面世界と外の世界の調和」。というわけで、このセッションは参加者全員による瞑想からスタート。ノートに力強く書いてあるんだけど、誰の発言か、誰の言葉かもわからない、この言葉が大変僕の心に残っています。
「内面の静けさを失うことは、自分自身を失うことである」。
自分が何を感じているかということを、僕たちは本当にきちんと見ることが出来ているだろうか?という問いをまず置きたい。少なくとも、2~3年前、ひょっとするとここ数か月くらい前までの僕は、この「自分が何を感じているか」をきちんと捉えることが出来ていなかったなと思う。
自分の内面なんて、見えてるだろ?と思いつつ。
自分の内面は、よく見えるようでいて、実は案外見えていないものだったりする、と思う。自分が「A」と思っていることでも、よくよく本心を辿っていくと、「Aの方が実現性が高そうだから」、「Aの方が周りの人から良く見られそうだから」、「Aと言わないと、社会的にダメっぽいから」という理由で「A」と感じていることが多々ある。それは、本当の意味で自分が感じていることとは違う。社会的通念に則っているだけのことだ。
内面と外的世界が調和すると、自分は良い気持ちになり、かつ外的世界も「いい感じ」になる。それが調和だ。自分の思ったとおりに、自分の好きなように生きたらよろしい、という話を聞くと、「みんながみんなそんなことをしたら、社会がめちゃくちゃになるじゃないですか」といったような意見を聞くことがある。
駄菓子菓子。今のところ、誰もその世界を見ていないから、「めちゃくちゃになる」かどうかなんて、誰にもわからない。むしろ僕は、全員がホントのホントに自分が生きたい世界を生きたら、世界は自然と調和するんじゃなかろうか、と思っている。まあ、そのあたりはまたいつかブログに書きたいと思います。
自分の内面を見つめる=瞑想をすること
上記の問いのヒントになりそうな話を、非営利団体GIFTの創設者のサム・ビアード氏が語っていた。というのは「復員軍人たちに瞑想を教えたところ、瞑想が習慣化した退役軍人たちの行動が変わった」のだという。通訳の方は「行動が高次化した」と表現していた。つまり、自分を改善することが世の中を改善することにつながり、社会に貢献することが自分の喜びであると感じられるようになったのだと。
僕の解釈で言えば、人間は本来「善」的な存在であって、自分の周りにいる人や社会に対して何らかの貢献をすることに喜びを感じる生物であるはずなのだ。利己的な遺伝子と利他的な遺伝子のどちらが後世に生き残りやすそうかを考えた時、利己的な遺伝子は一時的には良い状態になるだろうけれど、いずれ争い事が起き、荒廃に向かう。
一方、利他的な遺伝子は他の人たちが保護しようとする(はずだ)。お互いに利他的な行動をとる生物はどうなるかと言えば、社会として繁栄を迎えると考えるのが割と自然なのだけれど、どうだろうか。
話がそれた。ガブリエーレ・カスタニョーリ氏は、自然への回帰をポイントとして挙げる。人間はテクノロジーを駆使して快適な状態を作り上げたけれど、それはどこまで行っても「作られた快適さ」であって、本当に自分にとって「快適な状態」とは違うかもしれない。うん。なるほど。
最後に、経営者であるパラグ・シャー氏の話をして終わりにする。彼は平和を「個々人が個々人を生きること」だという。個々人が持つ怒りは、国同士の戦争と大きく解釈すれば同義であって、我々には戦争を批判する資格はない、とまで言う。そして彼は、世界に変化をもたらすためには、自分に変化をもたらす必要がある、という。
自分がまず平和になる。平和な状態を長く維持する。そして、自分が本当に心から求めること、自分の理想を描くこと。そうすることで、世の中にも平和な状態が広がっていくのではないか。彼の真意は正直つかめなかったけれど、僕はそういうメッセージとして受け取った。
自分が平和な状態であるためには、内面の静けさを取り戻し、自分の心の声に耳を傾けること。だいぶんスピリチュアルっぽいことを言っているように聞こえるかもしれないけれど、世界のビジネスリーダーの多くが瞑想(マインドフルネス、という言い方でもよいけれど)や座禅を習慣に取り入れていることから考えても、決しておかしなことではないんじゃないの?と思う。
もちろん、「瞑想なんてアヤシイ」、「そんなことしたって、世の中が平和になるわけがない」とあなたが思うならば、それはそれで大いに結構。そういう考え方があったって良い。
さて。次はついにセッション5。ここからは怒涛の如く、連発で行きたいと思っております。