やめるのやめる


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じつは、
ブログを一時止めようかと
真剣に考えた。

 

なぜかっちゅうと
「あ、こりゃかなわねぇな」と
想う書き手がたくさんいるから。

 

ぼくが書かなくても
このひとたちの
ブログがあれば
充分じゃんか、と想ったから。

 

ブログに限らず、
ぼくにはそういうくせがある。

 

ぼくがやらなくてもいいよね、
このひとがいるから、と
無意識にしろ有意識にしろ
想うことが多々ある。

 

これは、あれだ。

比べるんだな、ひとと自分を。

 

このひと(たち)には勝てないし
かなわないから
ぼくがやる必要ないと
想うんだわな。たぶん。

 

ただ、それが氣分良いかっつうと
そうではない。

 

そこには、嫉妬やねたみや
うらやましい、がたくさんあって。

 

逃げてもいるし、
自己保身もある。

 

「どうせぼくなんて」的、
自己卑下も大いにある。

 

そんな自分も認めつつもさ。

 

それでも、ぼくがブログを書く意味、
なにかをする意味が
あるんじゃないの、と想い直したの。

 

ぼくが見ている
「かなわねぇな」は、たぶん正しい。

 

でもそれは、
同じスケートでも、
スピードスケートの選手が
フィギュアスケートの選手を見て
「あんなに華麗に飛べねぇよ」って
言ってるようなもん。

 

そりゃ、無理だよ。
競技が違うもん。

 

華麗に飛べるひとは、飛べば良い。
早く滑れるひとは、早く行けば良い。

 

ぼくにはぼくのフィールドで
なにかできることがある。

 

かなわないところは
あきらめるけども、
自分の生きる道は
あきらめない。

 

そう想えたから、
やめるのやめる。

 

例えば、それが

自己満足だったとしても、さ。

 

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