現状維持


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人間、あるいは人間の脳は

現状維持を好む本能がある。


自分の理想を描いて、

新しい場所に踏み出そうとしても、

その本能がジャマをすることがある。

 

なぜならば。

 

新しい場所、世界、環境は、

未知の世界だ。

 

未知の世界では、

自分が生きて行けるかどうか

未知数だ。

 

でも、現状は生きている。

 

つまり、現状に留まれば、

少なくとも、しばらくは

命が続く。

 

だから、できるだけ人間は

現状に留まろうとする。

 

そんな話を聞いたことがある。

 

現状維持の誘惑は、

様々な形で僕らの前に現れる。

 

これが準備できたら、

新しいことを始めよう

 

こういう自分じゃないと、

あれはできない

 

いま、こうじゃないから、

ああいうことはできない

 

新しいことをやりたいのかどうか、

わからなくなった

 

新しいことを始めよう、

何かを変えようとしたとき。

 

何となく乗らない、あるいは

ネガティヴな感情が生まれたりする。

 

もしくは、

これができたら始めよう・・・

みたいな前提条件を付ける。

 

そのときに疑うべきは

「現状維持の誘惑」だ。

 

新しいことを始める、

自分を変えるのに、

必要条件も何もないし、

タイミングも関係ない。

 

全ては意識を変えることから

スタートするしかない。

 

いつまでも

ブレーキばっかり

踏んでるんじゃない。

 

・・・

 

てな話を友人にした。

 

言葉はブーメランである。

 

ウルトラセブンアイスラッガー

と言っても良い(どうでもいい)。

 

その言葉は、そっくりそのまま、

ぼくに返ってくる。

 

そう。この言葉は、

ぼくがぼく自身にかけた

言葉とも言える。

 

何かを変えよう、始めよう、

チャレンジしようと思うなら、

いましかない。

 

やるならいましかねえ、

なのである。

(『北の国から』より)

 

ぼくは、

変化しないこと、

チャレンジしないこと、

新しいフェーズに進まないことを

条件が整っていないせいにしたり、

環境のせいにしてみたり、

性格のせいにしてみたりしていた。

 

お恥ずかしい限り

ではあるけれど。

 

でも、ぼくは取り組んでいく。

なぜならば、それが望みだから。

 

過去を振り返って、

グダグダ言いたくない。

 

踏み出さなければ

一生やってこない未来を

「いつかはこうなるから」と

眺めていたいわけじゃない。

 

次のフェーズへ。

次のステップへ。

新しいチャレンジへ。

 

やるならいましかねえ、である。

(元ネタは長渕剛『西新宿の親父の唄』)

言えねえな


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言いたいとか言いたくないとか

そういうことじゃなくて、

言えねえな、話せねえなと

思うことがあって。

 

言いたいことや、話したいこと。

 

それは、ぼくの中に

たぶんあるんだけれど、

それがうまく言葉にならない。

 

あるいは、言いにくいと感じている。

 

だから、

ひとが何か聞いてくれても、

上っ面の答えを返してる

自分がいたりして。

 

せっかく聞いてくれているのに、

どうして本音を言えないんだろう?

とは思うのだけれど。

 

せっかく聞いてくれた相手にも

何となく申し訳ないし、

ぼくもちゃんと本音で話がしたい。

 

そう思ってるんだけど、

言えねえな、が出てくる。

 

もちろんそれは、

ぼく自身が解消すべき問題で。

 

そしてもちろん、

相手は相手で

「そこまで真剣に聞いてねえわ」

と思ってるかもしれないことも

加味しつつも。

 

あるひとに

「自分のことしか考えてないよね」

と言われたことがある。

 

自分のことだけ考えて、

自分が傷つかない方法を選んで、

失敗しないやり方を探して、

その場を何とかやり過ごす。

 

あるいは。

 

感情を表に出すということをせず、

ひととなあなあで付き合って、

深いところには入らず、入らせず、

何となくの関係を築いていく。

 

いや、そこまで彼が考えていたかは

全くわからないけれど、

そんなことを指摘されたように感じた。

 

確かに、自分のことしか考えていない。

 

「自分の話をするのは、相手に悪い」

「自分のことで時間を使ってもらうのは恐縮だ」

「聞いてもらうほどのことでもない」

 

みたいな無意識のブレーキが、

言えねえな、話せねえなの背景には

あるのかもしれない。

 

でも、ぼく自身が本当にそれを望んでたのか。

 

逆に、相手から

そういうコミュニケーションを取られたら、

ぼくはどう感じるだろうか。

 

そんなことを、かつてのぼくは微塵も

考えたことがなかったのである。

 

むしろ、相手のことを考えている、

とすら思っていた。

 

だから、彼はぼくに対して

「自分のことしか考えてない」

と言ったんだろう。

 

ややこしいけれど。

 

何が言いたいかっていうと。

 

ぼくには本当は言いたいこと、

話したいことがあって、

話を聞いてくれようとしたひとたちに

ぼくがそれを言えなかったことを

ぼくは密かに後悔している、ってこと。

 

それを言いたい。

 

もう少し言うと、謝りたい。

 

いつもありがとうございます。

言動のくせ、思考のくせ

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口ぐせや言動のくせに、

そのひとの性格は現れる。

 

ということを、最近教わっている。

というか、身を以って体感している。

 

要するに、ぼくがぼく自身の

くせを知って、自分自身のことを

さらに知り始めているということだ。

 

たとえば、ぼくの場合

前置きが多い。

 

これは言い換えると

「言い訳を先にしている」

とも言い換えられる。

 

先に言い訳を置いて、

失敗を回避しようとしている

ということなんだろうと自分では思う。

 

それから、優柔不断である。

これも先の「前置きが多い」とも

通じてくる。

 

簡単に言えば、

それが正解かどうか、を

考えるくせがある。

 

実は、別に自分が選んだことが

正解でも不正解でも構わない。

 

もう一歩進めると

正解も不正解もないにも関わらず。

 

誰にでも、

こういう口ぐせや言動のくせは

あるんじゃないかな、と思う。

 

ただ、自分一人では氣付きにくい。

 

しかも無意識で発しているから、

さらに氣付くのが難しい。

 

無意識(潜在意識と言っても良い)に

我々が思っていることが、現実化する。

 

てな話を聞いたことはないだろうか。

アヤシイ、と思う方は、

そっとブラウザを閉じていただきたい。

 

信じるも信じないも、あなた次第である。

 

つまり、ぼくの場合は

「失敗するかもしれない」と

無意識で思っている、らしい。

 

だから、「失敗しないように」と

前置きをしたり、

行動に躊躇が出るんだろう、

と思っている。

 

「絶対にうまくいく」

「全てよくなるために起きている」

と確信しているひとは、

恐らく、なんやかんやと前置きを

言ったりはしないだろう。

 

成功するとわかっていれば、

行動を起こすことを

躊躇するはずもないわけだ。

 

ココロを見るのは、とても難しい。

無意識となれば、なおのことだ。

 

でも、発した言葉や、身体の動き、

行動を見るのは比較的やりやすい。

 

ということは、

自分の言動のくせに氣付けば、

自分の「思考のくせ」にも

氣付きやすくなるかもしれない。

 

そして、言動のくせを変えることで

思考のくせを変えられるんじゃないか、

という逆のアプローチも考えている。

 

 

そうすることで、

思考のくせも

変わってくるんじゃないか。

 

そんなことを考えて、

ぼくはいま日々実験中である。

 

でもまあ、前のくせが出ることもある。

それはそれで、仕方がない。

 

でも、氣付いたら変えられる。

人間、何かを変えるのに

遅すぎることなんてない。

 

ぼくはそう思っている。

 

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ぼくはあなたに手紙を書こう

 f:id:abenob2010:20181108155537j:plain

 

ふと、こんな記事

(コラム?対談?)を見つけて、

ああ、と思った。

 

www.1101.com

 

ここ最近、ぼくはブログを

止めようかなと思っていた。

 

続きを読む

自分の感情に責任を持つ

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自分の感情に責任を持つ


当たり前のことを書くね。

 

嬉しいときは喜んでいいし、

悲しいときは悲しんでいいし、

怒ったときは怒っていいし、

楽しいときは笑っていいし、

切ないときは泣いていいし、

寂しいときは寂しいと思っていい。

 

自分の感情に素直になっていい。

と、改めて思っている。

 

「あのひとがこう言ってくれたから、嬉しい」

「あのひとがこんなことをしたから、腹が立つ」

「あのひとがこうしてくれないから、悲しい」

「あのひとが一緒にいてくれないから、寂しい」

 

こんな風に想うことはないだろうか。

正直に言えば、ぼくはある。

 

うん。一見間違いじゃない。

でも、これは嘘だ。

嘘というか、すりかえをしているだけだ。

 

ぼくの感情は、どこから生まれているのか。

そう。当然ぼくの中からしか生まれてこない。

 

他人からこうされたから、

こう言われたから、は、

あくまでも出来事でしかない。

 

出来事そのものには、

ポジティブもネガティブもない。

嬉しいも、悲しいも、寂しいも、苦しいもない。

それをどう捉えるかは自分次第だ。

 

自分がどうしたいか、どう感じたいか、

相手のことをどう見たいのか。

それこそが重要だと思ってる。

 

相手の言動や氣持ち、考えかたを

ぼくが変えることはできない。

 

でも、相手のことをどう想いたいか、

どう見たいか、

どう感じたいのかは、

ぼくのココロの持ちようで決まる。

 

相対した相手のことを

素晴らしいひとだと見ることも、

ひどい人間だと見ることも、

愛情あふれるひとだと見ることも、

愛のない人間だと見ることも。

 

すべてはぼくが決めている。

 

ときには、

なんでこんなことをするんだろう、とか

なんでこんなことを言うんだろう、とか

なんでこうしてくれないんだろう、とか

 

思うこともある。そりゃあるよね。あるある。

 

でも、それすらも、そう感じるのは自分。

相手の意図や本心がどこにあるのかは、

相手にしかわからない。

 

だとするならば、自分が感じた感情を

しっかりと受け取った上で、

相手の素晴らしさを信じ切りたい、とぼくは思う。

 

もちろん、その「素晴らしい」ってのも

ぼくのモノサシでしかないけれど。

 

こんなことを言ってくるあのひとは、イヤなやつ。

こんなことをするあのひとは、自分勝手。

こうしてくれないあのひとは、

ぼくのことを嫌ってる。

 

いや、そうじゃない。

相手には相手の想いがあって、考えがあって、

感情があって。

 

だからそういう言動になっている。

 

きっと、ぼくにとっても相手にとっても、

そうすることが最良だったに違いない。

 

そりゃさ、そう思えないことだってたくさんあるよ。

でもね、自分の感情を

相手のせいにしないひとでありたい。

ぼくはね。

 

ぼくの感情は、もちろん動く。

辛いこともあれば、悲しいこともある。

 

 

自分の感情は、自分が作り出している。

だからこそ、自分自身の感情をきちんと見て、

フタをしないで、受け止める。

 

その上で、

どうしたい?どう捉えたい?

相手のことをどう見たい?どう想いたい?

と感じてみる。

 

そんなことを最近考えた。

 

いつもありがとうございます。

決めたらそうなる

 

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 決めたらそうなる

 

「人間の氣分にも重力がかかってる」

もはや誰に聞いたかも忘れたのだけれど、

ぼくはこの言葉がとても好きというか、

とてもわかりやすいなと思っている。

 

人間、いつでもハッピーで、

いつでも明るく前向きで居続けられる、

というわけではないと思っている。

 

でも、ひとによっては

いつも明るく前向きで、

上機嫌なひともいる。

 

じゃあ、いつでも上機嫌なひとたちは

何もせずに、明るくハッピーで

上機嫌で居続けられるのか?

 

というと、そういうわけではないんだと思う。

 

人間の氣分にも重力がかかっている。

ほっとけば、だんだんと落ちてくる。

 

良い状態のときは良いけれど、

だんだん、落ち込んだり、ふさいだりする。

 

いつも上機嫌なひとたちは、

その落ち込んだり、ふさぎ込んだりするのを

常に上げ続ける努力をしてるんだろう、と思う。

 

どうしたら、自分の氣分を上げ続けられるのか?

答えは簡単。

 

「上を見続けていれば良い」

 

自分のテンションが上がること、

自分の氣分が良くなること、

自分の機嫌が上向きになること。

 

そのことに視点を向けて、

そこに常にフォーカスする。

 

あとは、身体から上機嫌にしていく、

という手もある、と思ってる。

 

例えば、笑顔でいる。

あるいは、ちょっとだけスキップしてみる。

上機嫌な状態を身体で表現する。

 

それだけでも、氣分の下がり方は変わる。

 

以前、うつむいた状態で

「私、元気!」と言ってみたり、

逆に腰に手を当てて、上斜め45度あたりを見て

「私、落ち込んでる!」と言ってみるという

身体ワークをやったことがある。

 

どちらも無理だ。

 

つまり、案外人間の脳は騙されやすくて、

明るく振舞っていると、何となく明るい気分になれる。

 

きっついことを言えば、

あなたの氣分が下がっているときは、

あなたが氣分を下げたいと思っている。

 

そんなことないわ!と思うかもしれないけれど、

少なくとも、ぼくの場合はそうだった。

 

いやだな、を見れば、いやだなが増幅されるし、

コイツ嫌いだな、を見れば、嫌いが増幅される。

 

悩んでるひとは、悩みたいんである。

悲しみにくれているひとは、悲しみたいんである。

ひとを嫌ってるひとは、嫌いになりたいんである。

 

誤解しないでほしいのだけれど、

これは決して悪いことじゃない。

 

自分の感情に素直になることは、

大変良いことだとぼくは思っている。

 

ただ、悲しみや、怒りや、嫌悪感や、苛立ちや、

そういうものを見続けているうちは、

その感情に支配され続ける。

そこから抜け出すことはできない。

 

これは、ぼくが身を以って体感したことだ。

 

自分がどんなにひとに腹を立てて、嫌いになっても、

相手はさほど気にしていない、なんてこともある。

そんなことは、ざらにある。

 

だとしたら、その感情を持ち続けるか、

それとも、自分の機嫌を取る方を選ぶか。

 

いや、そう簡単な話じゃないのもわかってる。

けれど、ぼくは自分の機嫌を良くする生き方を選ぶ。

 

決めたら、そうなる。

楽しんでいきまっしょい。

やさしい

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「やさしい」ってなんだ


「やさしさ」について考えた。

我ながら唐突だ。でもまあ、いつもそんなもんだ。

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