「ご縁がなかったっちゅうこっちゃ」(僕の出会った名言集) 

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「ご縁がなかったっちゅうこっちゃ」(byバリのアニキこと丸尾孝俊さん)

 

正直なことを言うと、ここ最近、ちょいと落ち込んでいた。落ち込んでいた、とまで言うと、やや大げさではあるのだけれど、まあ半分フィクションみたいな当ブログだ。かまうまいよ。

 

何で落ち込んでたかというと、簡単に言えば、力を入れて活動していたことがなかなか成果に結びつかなかったからだ。思うように進まないし、うまく行っている実感も湧かない。

 

こう言うときはたいていうまく行かない。逆に、うまく行く時は大げさに言えばほっといてもうまく進む。そんなもんだ。

 

というわけで、うまく行かないなあ、を味わって、落ち込んでいたわけだ。

 

■成功するためには、失敗が必要

こういうとき、過去のぼくがよくやってしまっていたのが「反省する」というやつだ。「あれをああしておけば良かった」とか「ここがこうだったら、うまく行ったのに」とか、そんなことを考える。

 

うん。「どうすれば良かったか」はまだ考える意味があるけれど、それ以外は、過去を振り返ることにあまり意味はない。

 

「この前はここで失敗したから、失敗しないように」というのも無意味というより、逆によろしくないらしい。失敗した脳回路をもう一度繋ぎなおしてしまうから。

 

失敗したら、「なるほど、こういうやり方はうまく行かないんだな」と捉えて、あっけらかんと忘れてしまうのが良いのだそうな。そうすると、脳は自ずとその回路(失敗した思考や考え)を繋がなくなる。「どうすればうまく行くか?」の脳回路を探して繋ぐようになる。無意識的にだ。

 

失敗は無意味ではない。成功するためには失敗しておくことも必要、らしい。これは、概ね自分に言っている。

 

■すべてはご縁があるかないか

とはいえ、人間的にはやっぱり失敗したり、うまく行かないと落ち込むわけだ。「どうしてうまく行かないんだろう?」と考え、自分のやり方や在り方が悪いんじゃないかと思ったりもする。少なくとも、ぼくはする。

 

そんなときに、たまたま手に取っていたのがバリのアニキこと、丸尾孝俊さんのことを書いた本『出稼げば大富豪』だった。

 

 

 

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出稼げば大富豪 *3

 

 

 

 

「ご縁がなかったっちゅうこっちゃ」。

 

そう考えると、少し楽になった。

 

自分が目指す「何か」を成し遂げるために頑張って、努力することは尊い。もちろん尊い。でも、僕はどうもあんまりそれを続けるのが好きではないっぽい。人や社会や、いろいろなものに求められ、ご縁がつながって進んでいくのが理想に近い、らしい。あくまでも僕は、だ。

 

さっきも書いたけど、何事もうまく行くときはトントン拍子で進む。それは、自分の力だけではなく、ご縁や何らかの力に応援されているから。逆に、うまく行かないときは「ご縁がなかった」から。

 

もちろん、ご縁を繋いだり、引き寄せたりするのも自分。自分がやるべきことをやっていれば、そこからご縁が広がって、物事がうまく行く。でも、物事がうまく行かなかったからといって、×ではない。

 

だからまあ、おかしな話だけれども、僕が力を入れていることがうまく行かなかったのは、それはそれで良かったのかもね、という思えるまでには快復してきた。

 

とりあえず、今はご縁がなかったっちゅうこと。続けていけば、またご縁がつながったり、何か新しいご縁が生まれたりするかもしれない。

 

と、自分に言っている。そういうブログなのでね。

 

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*1:調子ぶっこきシリーズ

*2:調子ぶっこきシリーズ

*3:調子ぶっこきシリーズ

自分の感情と付き合ってみる

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自分はなぜ、その感情を抱いたのかについて、きちんと見てみることが必要なのかもしれないね、と、昨日親友と話していて感じた(というより、親友が教えてくれた)ので、書いてみる。

 

自分あての備忘録的なところもあるけれど、皆さんにも何かヒントになれば嬉しい。

 

このあたりは、実はNVC(Non Violence Communication)でも言ってることだったりするので、参考にリンクを貼っておく。

http://nvc-japan.net/material/feelings_needs_list/

 

より正確に言うと、以下の2つに分けられるかもしれない。

 

・自分が今、どんな感情でいるのか(どんな気分なのか)
・その感情は、なぜ沸き起こってきたのか

 

なんかこう、嬉しくない、モヤモヤする、嫌な氣持ちだなと思った時に、それが「怒り」なのか「悲しみ」なのか、はたまた「苛立ち」なのか「焦り」なのか、自分でもわからないことがある(少なくとも、僕はある)。

 

■感情を可視化してみる

「嫌だなあ」、「なんかモヤモヤするなあ」というのはわかるけれど、それがどういう感情かを敢えて(敢えて、だ)言語化してみるというのは、僕はとてもいいプロセスだと思う。

 

なぜなら、言葉にしてみると、自分の感情が扱いやすくなる。「あ、これは悲しみと淋しさがブレンドされているんだね」とか、「む、これは怒りと見せかけた嫉妬っぽいね」とか。

 

自分が何を感じているのか、理解してあげよう、ということだ。これも以前ブログに書いた「現在地を把握すること」に近いかもしれない。

 

いつも出来なくていい。出来るとき、やりたいときにやればいい。完璧を目指そうとすると、だいたいおかしなことになる。氣が向いたら、自分に余裕があるときに、思い出したから、くらいがちょうど良い。

 

■自分の感情の源泉を見に行こう

自分の感情がある程度把握できてきたら、次に「どうしてそうなった?」を分析してみる。

 

例えば、友だち4人で出掛けようというとき、ある人が遅れてきたり、好き勝手な行動をとっているのを見てイライラしたとする。

 

最初、それは「みんなの時間を無駄にしてる!」という憤りだと思っていたけれど、よくよく見てみると、実はそれは自分の思ったとおりにならないことが不満だった、みたいなことはある。もちろん、両方含まれていることもあるとは思うけれど。

 

嬉しいとき、楽しいときも、自分の感情を見に行ってみると良い。「自分はなぜ、嬉しいと思っているのか、楽しいと感じるのか」を見てみると、自分の喜びの源泉に氣が付いたりする。

 

実際には、理由なんてないこともある。なんだかわからないけれど嬉しい、楽しい、ってなこともある。だけど、自分がどういうことに心が動く生命体なのかを理解するきっかけにはなるんじゃないかな、と思う。

 

そのあとには、その感情や状況を「どうしたいか?」と、見てみると、より良いかもしれない。その感情のままでいたいか、いたくないか。いたくないなら、何を変えようか。

 

その感情をもっと味わいたい、もっとその機会を増やしたいと思うなら、そのための行動を意識すればいい。

 

■感情を伝えてみる

こういう自分の感情を人に伝えられるようになると、よりコミュニケーションが変わると思う。

自分はいま、こういう理由でこういう感情を持っている、ということを、きちんと相手に伝える。これは、けっこう高度なコミュニケーションだ。

 

人は大抵、自分がなぜ苛立っているのか、なぜ悲しいのかを分析しない。そして、それを人に伝えることもしない。だから、多くの場合はその人が何を考え、感じているのかは周りが察するしかなくなる。

 

それを「〇〇で苛立っている」、「〇〇で悲しい」、あるいは「〇〇で嬉しい」みたいなことを、他人に伝える努力をしているだろうか。100%他人に理解してもらえるかどうかはわからない。でも、発することで何かは伝わるはずだ。

 

「ありがとう」もそうだ。もちろん、存在してくれるだけでありがとう、なんだけど、それならそれで、そう伝えてあげてほしい。特に、あなたの大切な人には。

 

加えて、どうしてありがとう、うれしいと思ったのかを、感じに行ってみると良いと思う。

 

ぼくらの身の回りには、奇跡が満ちあふれている。この世に生まれて、今まで生きてこられていること。これ自体もう奇跡で、ありがたいことだものね。

 

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締切のある今を生きる僕とあなたのために

 
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その人が亡くなった後に、その人のファンになる。そういうことが、僕にはちょくちょくある。例えば、ジョン・レノン。まあ、彼が亡くなったときに僕はまだ4歳だったわけで、これはまあ、仕方がない。

 

でも、せっかく同時代を生きていたにもかかわらず、死後にその人のことを知ったときのショックというか、落胆はけっこうキツいものがある。僕はそれを、今のところ二度経験している。一度は忌野清志郎。もう一度は、作家の小林正観さんだ。

 

忌野清志郎は、生きているうちから存在は知っていた。「い・け・な・いルージュマジック」なんかで、教授(坂本龍一)とテレビに出てたのを見た記憶がある。で、僕は「男のくせに派手なカッコをして、化粧なんかして、気色悪いヤツだ」という、非常にステレオタイプ的、かつ幼稚な反応を示した。

 

その反応は大人になっても割と続き、RCサクセション忌野清志郎は食わず嫌いを続けていた。でも、自分がバンドをやることになり、『雨上がりの夜空に』をカバーすることになり、ドはまりした。そして、その頃にはすでに彼はこの世を去った後だったはずだ。

 

おかげで僕は、彼のライブを生で観ることは(今世では)叶わなかった。天国で、マイクを振り回しながら「愛し合ってるかい?」と尋ねるキヨシローに会えるかどうかは、今のところ分からない。

 

今にしてみれば、一度で良いから、キヨシローが歌う姿、歌う声を生で体感したかったな、と思う。

 

小林正観さんについては、知らない人も多いかもしれない。

小林正観さんは、ごくごく最近知った人だ。

 

『釈迦の教えは「感謝」だった』という本をたまたま見つけ、本のタイトルに惹かれて読んだ。その内容がとてもグッと来たので、他の本も読んでみようと思っていた矢先、たまたま読んだひすいこたろうさんの本にも小林正観さんの言葉が載っていた。と同時に、彼が2011年に旅立たれていたことを知った。

 

2011年当時、僕は小林正観さんを知らなかったわけで、どう逆立ちしても彼の講演を聞きに行くことはできなかった。でも、ついこの間まで、この世を一緒に生きていた人に会えなかった、すれ違ってしまったという想いがある。

 

もちろん、僕が小林正観さんの本に触れるタイミングとしては今がカンペキなんだろう、と思っている。でも、そうは言っても、一度で良いから小林正観さんのお話を実際に聞いてみたかったな、と悔やむ気持ちがある。

 

■会いたい人に、会えるときに会っておくこと

実は、これは著名人に限ったことではない。むしろ、著名ならばまだましだ。だってCDをかければ、キヨシローは今でもゴキゲンなロックを奏でてくれるし、本を開けば正観さんは、自身の考えを説いてくれる。

 

昨年、親戚が二人亡くなった。二人とも、亡くなるような年齢ではない。でも、病気でこの世を一足先に出ていくことになった。

 

二人とも東京にも住んでいたので、会いに行こうと思えばいつだって会いに行けた。会いたいと言えば、きっと時間を作ってくれたと思う。会いに行かなかったのは、僕だ。

 

過去を振り返って、後悔するつもりはない。ああしておけば、こうしておけばと思うことはしない。でも、僕はこの四人から、何を学ぶのだろう?と考える。

 

それは「生きているうちに、やりたいと思うことはやっておけ」ということだと思う。それは、自分が生きているうち、はもちろんだけど、相手が生きているうち、も含まれる。

 

例えば、両親に感謝の氣持ちを伝える。ちょっとした親孝行をする。別に親はそんなことを求めていないかもしれないけれど、それは僕がやりたいことだ。

 

例えば、自分が好きな人に好きだよ、と伝える。それは、別に恋人同士だけじゃないと思う。自分が好きな人、大切な人、尊敬している人に、自分の想いを伝える。何かリアクションがほしいわけじゃない。自分の素直な氣持ちを伝えたい。

 

例えば、大切な友だちと一緒に時間を過ごす。他愛のない話をしたり、めしを食ったり、歌ったり踊ったり。なんだっていい。大切なのは何をするかではなくて、誰と一緒にいるかだろう。一緒にいたい人と一緒にいる。それが大切だ。

 

そう。これらは全て、実は締切がある。自分の、あるいは相手の命が尽きるまで、というタイムリミットだ。

 

■今動こう。締切が来る前に

そう。残念ながらと言うべきか、幸いなことにと言うべきか、僕らの命には限りがある。だからこそ僕らは、生きているうちにこの命を輝かせ、自分が奏でたい本当の音=本音を生きたいと望むはずだ。

 

さて。あなたが今からやろうとしていることは、本当に限られた命を使ってやりたいことだろうか?

 

こんな問いを、常に自分に立てて生きてみる。それが常にYESなら、こんなに幸せなことはないだろう。

 

もしNOだとしても、それはそれで構わない。ただ、ああ、自分は今、限られた命を使って、本当にやりたいことをしているわけではないのだなと氣付く、知ることがより大切だと思う。その後、どうするか、どうしたいかは自由だ。

 

氣付かないと、何も始まらない。逆に言えば、氣付けば、選べる。もし、それが理想でないならば、変えることができる。そんなことを、僕は考えている。

 

最後に、小林正観さんのことばを。

「今日寝て起きたら明日」ではありません。「今日寝て起きたら、起きたときは今日」なのです。

明日という日は永遠に来ません。常に今日、今、目の前に存在している人を大事にし、やるべき事をひたすら大事にやっていく。

「100%幸せな1%の人々」より

 

読んでくれてありがとうございます。じゃまた。

 

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夢や目標を叶えるために、やっておきたいこと

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■ニューヨークへ行きたいか!?(福留アナ風に)

唐突な話をしよう(ま、僕の話は大抵いつだって唐突だ)。

 

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明日死ぬかもしれない、僕とあなたのために


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コピーライターで、作家のひすいこたろうさん(と書くと、どこまでが名前かわかりにくいな。「ひすいこたろう」さんです)が書いた『明日死ぬかもよ』という本を読んでいる。

 

 

 

あした死ぬかもよ?

あした死ぬかもよ?

 

 

まあまあスパイシーなタイトルだ。でもまあ、間違いじゃない。真心ブラザーズも、こう歌ってる。

 

♪いつか死ぬ いつか絶対に死ぬ いつか死ぬ いつか絶対に死ぬ 死んだ後も名を遺すなんて 欲のかき過ぎだ♪(『人間はもう終わりだ』より)

 

この本の中に、曹洞宗という禅宗の開祖である道元の言葉がある。詳しくは本を読んでもらった方が良いのだけれど、簡単に言うとこんなことだ。

 

「成功する人間は努力する。しない人間は努力しない」
「努力する人間には志がある。しない人間には志がない」
「志のある人間は『人間は必ず死ぬ』と知っている。ない人間は、それを本当の意味では知らない」

 

うん。なるほど。僕は本当の意味で、「人間は必ず死ぬ」ということを知っているだろうか、と考えた。

 

■明日死んでも後悔しない生き方

ひすいさんはこの本を通じて、僕(=読者)に、様々な質問を投げかけてくる。その根底に流れるテーマは「明日死んでも後悔しない人生を送っているか?」ということ。

 

僕らは、実は死と隣り合わせの状態にある。常に。生きている以上、いついかなる時も、だ。となれば、明日が来る保証なんてどこにもない。人によっては「今日も目覚めた!ついてるついてる」という人もいる。

 

僕が大好きなバリ島に住んでる大富豪のアニキ(丸尾孝俊さん)は、嬉しいときはどんなときかと聞かれて「朝、目が覚めたときやな」と答えていた。そういうことだ。

 

 

 

大富豪アニキの教え

大富豪アニキの教え

 

 

 

寝るということは、そのまま目覚めない可能性を秘めた行為でもある。眠ったまま、息を引きとる可能性もある。つまり、その人にとっての「明日」は永遠に来ない。この世ではね。

 

だけど僕らは(また主語を大きくした。少なくとも、僕は)明日は来るもんだと思っている節がある。志を立てているけれど、そこまでの想い(まさに「必死さ」だ)が出ていないのかもしれない、と感じることはある。もちろん、今はまだ、という話。

 

さて。そうなったとき、たとえ明日が来なかったとしても「あー、良い人生だった」と言って眠りにつける毎日を(あるいは一日を)送れているだろうか。あるいは朝、目覚めたときに「嬉しい!」と素直に思える日々を過ごせているだろうか。

 

さて。あなたは、どうでしょう?

 

メメント・モリ

「人間は全員いつか死ぬ」ということは、情報としては、おそらく全員にインプットされている。「え?オレいつか死ぬの?聞いてないよ~」という人は、おそらくいない。でも、何かにつけて「これは明日で良いや」とか「これはまた後で」とか「いつかやろう」と考える。

 

「いつか」って、いつ来るんだろう?

 

人間には時間軸があるから、過去の記憶もあれば、未来に向けたビジョンも描ける。過去に感謝して、未来を描いて、今を生きる。それが人間らしいってことだと思う、と、僕が大好きな友人は言う。これは、僕が生で聞いた中でも指折りの名言だと思っている。

 

人は必ず死ぬと思っているからこそ、今を必死に、真剣に、できる限り充実させて生きようとする。そのエネルギーが、自分や人を動かすんだと思う。

 

要するに「メメント・モリ」だ。死を忘れるな。明日死んでも良いように、今を全力で生き切る。明日死ぬとしたら、やりたくないこと、氣が進まないことをやるだろうか。

 

明日死ぬとわかっていたら、今日こそは、自分がやりたいこと、全身全霊をかけてでも実現したいことに命を使うんじゃなかろうか。

 

■あなたは、何を遺したい人なのか

もし、明日死ぬとしたら。日銭を稼ぐために、やりたくもない仕事に行くだろうか。会いたくもない人と会って、おべんちゃらや愛想を振りまくだろうか。

 

僕なら、明日死ぬとしたら、自分が好きな人たちのために命を使いたいと思う。例えば家族。友人。恩人。愛する人。そんな人たちに何かを遺すために、命を使うだろうと思う。これまで与えてもらってきた様々な愛情に対する感謝と、今自分が感じている愛情を、何らかの形で遺そうと思うだろう。

 

「やりたいことが見つからない」というのも、わかる。それはひょっとしたら、自分の感情にフタをしているから、かもしれない。

 

「お金を稼がなくてはいけない」、「自立しなくてはいけない」、「社会的にはこうすべき」とか、そういう考えに囚われて、自分が本当に何をしたくて、どう生きたいのかに氣付かないという状態にあるのかもしれない。

 

「ねばならない」を手放してみると、自分が本当にやりたかったこと、自分の命の使い方をしたいのか、自分が何を遺したいのかに氣付けるかもしれない。

 

明日死ぬのに「これ、やらなきゃいけないから」という理由で自分を動かすのか、「これ、やりたいんだよねー」というワクワクで自分を動かすのか。

 

実はどちらも選べるよ、って話だ。あなたが望むならね。

 

 

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事実はただ事実であって、それ以上でもそれ以下でもないんだぜ、という話。

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■問題を問題と見るから問題になる

ある日、友人(女子)から「現在地のわからないお散歩なう」というメッセージが来た。

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『コミュニケーション』の本当の目的について

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ここ最近、コミュニケーションを勉強したり、コミュニケーション関連の本を読んだりすることが増えた。興味の方向がそっちに向いているなあと、自分でも思う。

 

例えば、NVC(Non Violent Communication)。日本語だと「非暴力コミュニケーション」になるんだけれども、別に暴力的コミュニケーションとは、言葉より先に拳が飛んでくるコミュニケーション、みたいなことを言いたいのではない。当たり前だけれど。

 

僕らはついつい、攻撃的、言い換えれば暴力的なコミュニケーションを取ってしまうことがある。例えば、パートナーが靴下を脱ぎっぱなしでその辺に置いてるとする。その時に、ついこんな風に言ってしまうことはないだろうか。

 

「また靴下脱ぎっぱなし!」

 

うん。まあ、そりゃそういう反応になるわな、とも思う。でも、

 

「靴下を脱いだら、まとめて洗濯機の横のかごに入れておいてもらえると嬉しい」

という伝え方ができたら、どうだろう。多少、受け手としては責められている感じが薄れるんじゃないかと思う。

 

もちろん、色々な手法や側面はあるんだけれど、NVCは他人を攻撃しない、自分の意見やニーズ、要望を相手に伝えることで、相手とのコミュニケーションを円滑にする手法だと思う(僕の認識では)。

 

だから、そこには「〇〇すべき」、「〇〇でなくてはいけない」はない。「自分が(相手に)こうしてほしい」という希望が基本になる。

 

さっきの例で言えば、最初のコメントは「靴下は脱いだら片付けるべき!(なのになぜやってないの!)」という意識が背景に隠れている(と、僕は見る)。

 

一方、後者のコメントは「(自分は)そうしてもらえると嬉しい」という自分のニーズ、要求から発信をしている。だから、相手を責める(≒暴力的な)コミュニケーションにはなりにくい。

 

僕がいま力を入れて活動しているリターンスクール(リターントゥヒューマンスクール)のベースになる「リターンコミュニケーション」も、同じような考え方だ。「こうした方が良いよ!」、「こうじゃなきゃダメだよ!」みたいなことは、原則言わない。コーチングに近い感じもするけれど、少し違う(んじゃないかな。コーチング知らんから、わかんないけど)。

 

リターンコミュニケーションでは「僕は君の話を聞いて、こう感じるけれど、僕の話を聞いて、君はどういう印象を受ける?」という表現をよくする。決して自分の意見を押し付けたり、無理強いしたりはしない。あくまでも自分の印象や相手にフィーリングを伝えるだけ。そこには正しいも間違いもない。

 

■コミュニケーションで得られるもの

僕がコミュニケーションに興味を持ったのは、昔からコミュニケーション能力が高かったから・・・というよりも、むしろコミュ障に近かったからじゃないかと推測している。

 

人に何かを言う、あるいは人から何かを言われることが、僕は以前あまり好きではなかった。人からアドバイスを貰うのも、どちらかというと苦手だった。

 

一方で、最近はコミュニケーションの重要性も感じている。

 

僕が今、なぜコミュニケーションが重要だと思っているのか。もちろん、こちらの考えていることを相手に伝えたり、相手に自分の希望通り動いてもらうための情報伝達とか意思疎通のためにも必要だけれど、それ以上に感じるのは「自分自身のことがさらに良くわかるから」だったりする。

 

「自分のことは自分が一番よくわかっている」と思うかもしれないけれど、最近の僕は自分自身のことこそ一番分かってない氣がする。

 

例えば、自分としては「こうでなければいけない!」と思うことが、他の大勢の人から見ると「え、どっちでも良くない?」ということも多い。固定概念とか、自分が勝手に作ったルールとか、いわゆる「常識」というヤツだったり、親からのしつけ(あるいは「押し付け」)などなど、そういうものによって、人々は割と「~ねばならない」思考を身に着けていく。でも、それもこれも実は単なる「くせ」のようなもの。必要がなければ、手放せばいい。

 

ただ、自分自身の思考や行動のパターン、あるいは「くせ」は、自分自身で氣付くのが大変難しい。なぜなら、無意識でやってしまっているから。自分では無意識なんだけど、結果として、同じ思考・行動パターンを繰り返してしまうことは良くある。

 

だから、そういう思考や行動のくせを他人の視点から指摘してもらえるのは、案外ありがたいことなんじゃないか、と思う。ただ、その指摘を受け取れる準備が出来ているかどうか、という問題はある。また、見た側の伝え方もある。

 

「あんたがそういう考え方だから、いつも上手くいかないんだよ!」的コミュニケーションだと、言われた方はキツイ。いや、それを受け止めて、改善していける人もいるかもしれないけれど、少なくとも僕は無理だ(笑)。だから、以前の僕は人とコミュニケーションを取るのがあまり好きではなかった、というのはある。

 

それは、親切心や「相手に良くなってほしい、良い方向に進んでほしい」という気持ちから発せられていることも分かる。ただ、キツイものはキツイ。

 

ということに、最近僕も氣が付いた(笑)。だからこそ、相手のフィールドに侵入しない、相手を責めないコミュニケーションを学んだり、実践しようと心掛けている。

 

ま、時にはやっちゃうこともありますけどさ。意識しているだけ、かなりいいはずだよ、と思っている。

 

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