わし流映画鑑賞録『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』
アメリカ版のポスターだって。
■今回も元気にネタバレします。
見てない人も多いだろうから、まずはあらすじ。
簡単に言うと、奥さんの父親がやってる投資会社に勤めてるエリートのデイヴィスが、奥さんを交通事故で亡くす。
奥さんを亡くしても哀しくない。あれ、オレ、奥さん愛してなかったんだ、と思うデイヴィス。
そして(なんか知らんけど)色んなものをぶち壊したくなって(実際にぶち壊して)、ひょんなこと(ホントに「ひょんなこと」だ)から知り合った女(しかもシングルマザーの彼氏持ち)とデキて、自分の生活や義理の両親(義理の父は仕事上のボスなのに!)との関係もぶち壊しかける。
最終的に、デイヴィスは自分が住んでいた家、彼曰く「結婚生活」を破壊しにかかる。そこで、彼はショッキングな物をみつけるのだけれど、それは後で話す。
そうして、破壊し尽くそうとした先に、何があったのか・・・というお話。
■邦題が、なあ。良いんだけども
評価が難しい。原題は「Demolition」。「破壊」とか「打破」という意味らしい。その方が確かに、意味は合ってる。
でも、邦題が「破壊」なんて映画観る?観ないよね。「デモリション」だと、「デモリションマン」とワケわかんなくなりそうだし。
かと言って、邦題のちょっとロマンチックな感じで見始めると、途中まで「なんじゃこりゃ」感が強いワケ。だってホントのタイトルは「破壊」または「打破」なんだもの。
映画の中盤くらいまでは、とにかく物を壊しまくる。破壊衝動なんですかね。しかも、その理由は明らかにはされない。
■くそ映画認定寸前・・・
正直に白状すると、僕は途中まで「くそ映画」の認定をしかけていた。単に、僕の好みではない、ということだけれども。
このまんま、「ハイ、奥さんとの間には愛はなかったけど、色々ぶち壊した結果、真実の愛を見つけたよね~テッテレー」とかなったら、ホントにくそ映画認定しようと思ってた。
しかし。そこは「ダラス・バイヤーズ・クラブ」のジャン・マルク・ヴァレ。きっちりひっくり返してきた。
■この一言のための90分近い前振り
破壊しまくって、しまくって。そして「結婚生活」を破壊中、実は奥さんには愛人がいて、しかもソイツの子を妊娠(中絶)していたことも分かる。しかも義母からは「生めば良かったのに!」とまで言われるデイヴィス。やれやれ。
失意の中、デイヴィスはある人物と出会い、そしてある場所である物を見つける。そして、あることを悟る。
その後、デイヴィスは(しかも、義父に向けて)「愛はありました。おろそかにしていただけで」と話す。そして義父と共に、ある計画を実行する。
あのね。もう、このラストを見せられたら、くそ映画とは言えない。壮大な前振りからの、エンディングへなだれ込む感じ。うん。嫌いじゃない。というか、知らないうちに泣いてた。
色んなものをぶち壊し、ぶち壊して、やっとこさそこにあったものに気付く。そして、再生する。
その姿を描くために、この監督と脚本家は映画の大半を「前振り」である「破壊」に費やした。その割り切り、思い切りには感心する。
万人受けする映画かどうかはわからない。ただ、「自分がくそみたいな男だ」という自覚のある人は、観ると良い。たぶん、少し救われる。なぜなら、僕がそうだから。
自分のライフステージと微妙に重なるところがあって、思わず涙してしまった。決して分かりやすい映画ではないし、ホントに終盤までは「オイオイ」感がスゴイので(ただ、それだけに終盤の畳みかけがゴッツリ来る)、我慢強い人にはおススメ。あと、倦怠期のカップルで観ると良いかもしれない。
ちなみに、奥さんが亡くなったのに哀しくない男が再生する・・・と言えば『永い言い訳』という名作(オレ評)がある。その類似性や相違点についても話したいところなんだけども、それは今度会ったときに話す!