敵対心は劣等感の裏返し
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「敵対心は劣等感の裏返し」。その相手には適わない現実から相手を敵対視する。なンで、こンな態度を取るのだろうと不思議に思う人の本質は、「ねたみ」、「そねみ」、「やっかみ」。むやみに、誰にでも敵対する人は、大体この三つの「み」をコンプリートしているね。(小池一夫)
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2017年2月16日
もう、本記事は「これな」で終わっても良いくらい、核心を突いている。
ただ、小池先生に楯突く訳ではないのだが、この3つ、違いがイマイチよく分からない。
妬み嫉み(ねたみそねみ)
他人を羨ましく思い、その分だけ憎らしいと思う感情。「嫉妬」と同義。「妬み」と「嫉み」はいずれも羨望と憎しみの入り混じった感情を表す。「妬み」は羨ましく口惜しい、腹立たしいといった意味合いが若干強い。「嫉み」は羨ましくて憎い、呪わしいといった意味合いが若干強い
出典:日本語表現辞典
もういっちょ。
やっかみ
(主に関東地方で)うらやみ。ねたみ。「やっかみ半分でうわさする」
出典:デジタル大辞泉
なるほど。
■まあ、要するに
何か自分にないもの、自分が敵わないなと思っているものを相手が持っていて(あるいは、自分がそう感じていて)、 それを素直に認められない時に、こういう感情が発露するんだろう。
冒頭、小池先生も言ってたね。「敵対心は劣等感の裏返し」。なるほどなるほど。
こういうフレーズにピンときたり、何か思うところがあったり、なおのことブログまで書こうというのだから、僕の中にこういう感情があるんだろう、と思う。
■持っていたいか、いたくないかで言えば
こんな感情を持っていても良いことはないし、自己嫌悪に陥るだけなわけで、持っていたくはない。
ただ、すぐにパンパカパーンと手放せるかと言えば、そこもまた難しい。何しろ、「反射」だから。
何か、自分にはない才能や実力を見たときに、妬みや嫉みを感じるのは、瞬間的な心の反応、反射であって、これを止めるのはなかなか難しい。
ただ、それが出てきたときに「また出てきたね」と受け止めることはできるだろう。そして、それを消化(あるいは消火か昇華か)することもできる、はずである。
それには、もう少し時間と修行が必要なようだ。とりあえず今日のところは、氣付いた分前進したとしよう。