一人で


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やり切る。

 

一人で。

 

ここ数日の間に、ぼくのもとに

届いたメッセージが、この2つ。

 

そのまんま組み合わせれば、

「一人でやり切る」ということ。

 

なるほどね、とも思いつつ。

 

ぼくは、自分の人生において

「やり切った」と思えることが

ないと思い込んでいた、らしい。

 

でも、改めてみると、そんなことはない。

やり切ったことだって、たくさんある。

 

でも、それを自分で認めきれていなかっただけで。

 

ただ、ぼくの人生においては

いつも誰かが、支えてくれていた感覚はある。

 

いまももちろん、それはあって。

たくさんの仲間や、恩人や、

先輩たちが、ぼくを支えてくれている。

 

「一人で」というのは、

何もかも一人きりでやる、ということではない、

といまは受け取っている。

 

頼るべきところは、頼ればいい。

任せるべきところは、任せればいい。

ひとからの意見も聞けばいいし、

誰かと協同で何かをするのももちろんいい。

 

でも、そこに依存は必要ない。

 

ここ最近のぼくは、心のどこかで、

自分を埋めるための何かを探していたんだろう。

 

もちろん、それも悪いことじゃない。

そういうことが必要なひともいるし、

そうすることで生きやすくなるひともいる。

それが必要なタイミングもあるだろう。

 

でも、いまのぼくには、それは必要ない。

ようやくそう思えるようになった。

 

一人で、やり切る。

 

自分自身の声を聞き、感性を信じ、

自分自身を100%認める。

 

楽読には、「クレド」という

信条というか、行動指針みたいなものがあって。

 

第一条が「自我自賛し、波動を上げて生きます」。

 

自我自賛とは、できた、できないではなく、

自分自身をしっかりと認めること。

自分を尊い存在だと認識すること、と

ぼくは捉えている。

 

わかってはいたんだけどね。

なんだろうね。

そこをやり切れていなかった。

 

ぼくは、ぼくの道を往く。

あなたは、あなたの道を往く。

どこかで交わるのならば、それはそれ。

どこかで助け合えるなら、

それはとてもうれしいこと。

 

でも、あくまでも、それぞれが

一人、個として生きること。

自分自身とのつながりを大切にし切ること。

 

そこからしか、本当の繋がりは生まれない。

そこからしか、次のステップは見えてこない。

 

なるほどね。

 

これが腑に落ちると、

過去の自分を責めたくなる(笑)。

いままで、何をしてたんだ、ぼくはと。

 

でも、それはそれ。

そのときは、それが必要だったんだと思う。

 

一人を生きることが、

みんなのためになる。

 

ぼく自身としっかりと手をつなぐことで

さらにみんなと深くつながり合える。

 

そんなことを考えている。

 

だからか、と、

いろんなことが紐解け始めている。

 

改めて、一人を生きる、を決める。

 

今日もありがとうございます。

 

 

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焦り


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「ない」を見るから、焦る。

このシンプルな方程式に、

いまさらながら、改めて氣が付いた。

 

ぼくには理想があって、

必ずこうなるはず、と思っている。

 

前回書いたブログでは、

握りしめていた理想を手放す、

と決めた。

 

http://abenob2010.hatenablog.com/entry/2018/09/02/132319

 

その結果、

ぼくはいま、その理想の状態ではない

ということを見て、焦っていたのだなと

改めて氣が付いた。

 

焦れば焦るほど、

理想は遠のく。

 

「ない」を見続けているから、

それが現実化する。

 

もし、すでにそうである状態に

自分がいたならば、焦るだろうか?

 

そんなはずはないわけだ。

 

ぼくが少し、理想よりも

早く待ち合わせ場所に

着いてしまっただけ。

 

あるいは、

待ち合わせ場所を

間違えているだけ。

 

理想は、必ずある。

 

早く着きすぎたのなら、

理想が来るのを楽しみにして

コーヒーでも飲みながら、

ゆっくり待っていればいい。

 

待ち合わせ場所を

間違えているのなら、

理想が待つ場所へ移動すればいい。

 

それだけのことで。

焦ることなんて何一つない。

 

いまがまだ、そうではない、

というだけのこと。

 

何度でも言おう、

焦ることは、なにもない。

 

理想があって、

その状態に自分が在り続ければ、

必ずそうなる。

 

だから、ぼくよ。

あっせんなよ。

大丈夫だから。

 

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手放す

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握りしめていたものを、

手放す。

 

あきらめるでも、捨てるでもなく。

ただ、手放す。

 

こうに違いない、

こうであってほしいと思うものを

静かに手放す。

 

握りしめているということは

それだけ大切で、必要で

自分が失いたくないもので。

 

でも、だ。

握りしめているうちは、

そこにこだわりが生まれる。

 

それは良いでも悪いでもなく。

 

握りしめ続けるのも良い。

そこにこだわり続けるのも良い。

 

ただ、握りしめているうちは、

そこに留まり続ける。

 

それも、決して悪いことじゃない。

それを望むか、望まないかだけで。

 

ロッククライミング

ボルダリングのように。

 

手を離さないと、

次に進めないこともある。

 

そんなことを考えている。

 

手放すには、勇氣がいる。

 

大切に大切に握りしめていたもので

想いがあればあるほどに、

手放すことに躊躇が生まれる。

 

光と闇。

喜びと悲しみ。

嬉しさと悔しさ。

希望と絶望。

「ある」と「ない」。

 

そうなれば、そうなっただし、

そうならなければ、そうではない。

 

両方ある。

 

そう、両方ある。

どちらかでなければならない、

なんてことは、ない。

 

ようやく、その境地に

至れたような氣持ちでいる。

 

もう一度言うけれど、

あきらめるでも、捨てるでもなく。

 

握りしめていたものを、

手放す。

 

勇氣と感謝と

心の底からの愛と共に

手放す。

 

そして、次のステップへ進む。

 

誰かに何かを伝えたいとか

そんなんじゃなく。

自分の整理のためのブログ。

 

読んでくださって、ありがとうございます。

 

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寂しさ

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寂しかったんだな、と

ここにきて急に思った。

 

そうか、ぼくは寂しさを埋めようと

していたのかもしれない、と、

何だか妙に腑に落ちてしまった。

 

ぼくには

大切な仲間がいて、

友人もいる。

 

寂しさを感じることなんて

ありえないと思っていた。

あるいは、あってはいけない、とも。

 

でも、心のどこかに、

寂しさがあるのだと、

いまはわかるし、認められる。

 

全ては認めるところから始まる、

と最近特に感じている。

 

ネガティブな感情は特に。

認めずに蓋をすると、

大概良いことにはならない。

 

ぼくはこのところ、

寂しいとか、哀しいとか、

辛いとか、苦しいとか。

 

そういう感情を認めずに、

どこかでそういう自分に

バツを付けていた、と思う。

 

嫉妬もそう。悔しさもそう。

劣等感もそうだし、欠乏感もそう。

認めてほしい、褒めてほしいもある。

 

そういうものを感じてはいけない、

というか、そういうものはない、と

思い込もうとしていた感じがある。

 

いま自分を振り返ってみると、

それは要するに、そういう感情を

認めていなかった、

ということだとわかる。

 

と、こんなことをブログに書くぼくは

かなりの構ってちゃんだし、

寂しがり屋なのだなとも思う。

 

それも認める。

 

大切なのは、その感情をどう取り扱うか。

 

そういうもろもろは、

誰かが解消してくれるものじゃない。

と、いまは腑に落ちている。

 

自分が自分を認め、許し、

大切にし、尊重し。

 

ひとに嫉妬している自分も、

力不足で、何もできなくて悔しい自分も、

思うようにならなくて辛い自分も、

腹黒い自分も。

 

まずは認めて、許すこと。

そして、さらに理想に近付くために

いまを全力で生きること。

 

自分に正直になること。

自分の感情を解放すること。

自分で自分の寂しさを埋めること。

 

矢印を、改めて自分に向ける。

ここからしか、

何も始まらないんだろう。

 

むしろ、ここから始める。

 

自分の機嫌を自分でとる。

自分で自分を最高に大切にする。

 

だからこそ、

大切なひとたちを大切にできる。

 

いつもありがとうございます。

 

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自分事


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尊敬できるひとと、

一日過ごす機会があった。

 

そこでぼくは、

自分の現在地を確認できた。

 

そのひとは、

客に対して胸ぐらを掴んで

「表に出ろ」と言い放った、という。

 

普通なら、考えられないことだ。

でも、ぼくにはそれが

響きまくった。

 

彼は、そのとき本気で怒った、

と言った。

本気で飯を食っている、とも。

 

はたして。

いまのぼくに、その覚悟が

あっただろうか。

 

なかった、としか言えない。いまは。

 

本氣。愛。

 

口ではなんとでも言える。

じゃあ、本当にそういう氣持ちで

目の前のひとと

向き合えていただろうか。

 

甘かったね、と思う。

うん。でもこれも現在地。

 

もしぼくが、同じような

状況に立たされたならば、

きっと愛想笑いをして

そういうこともあるよね、と

言っていたと思う。

 

でも、だ。

本当に真剣に、

目の前のひとの

幸せや、理想や、成長や、

そういうものに

コミットしていたならば。

 

胸ぐらを掴んででも

本氣でぶつかっていたに

違いないのだ。

 

キツい言い方で言えば、

逃げていた。

 

自分のことしか

考えていなかった。

自分事で留まっていた。

 

でも、それももう過去だ。

 

これはなにも、

客相手に限ったことではない。

 

本当に大切なひとたちと、

本氣で向き合って、本氣でぶつかる

勇氣があっただろうか。

 

これに関しては、

ほんとに申し訳ないな、と思う。

 

ぼくの大切なひとたちは、

ぼくに本氣で向き合って、

ぶつかってきてくれる。

 

それを真正面から受け止めていたか?

自分事を外して、

自分のため、相手のため、

大きく言えば世界のために

生きると決め切れていたか?

 

いまから、変える。変わる。

今日はじっくり、このあたりと

向き合っていく。

 

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守る


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振り返ってみると、

ぼくは自分以外の何かを

命懸けで守ろう、という想いを

持ったことがないのかもしれない。

 

いや、ない。

 

両親は良いも悪いもなく、

ぼくを守ってくれる存在であったし、

ぼくが守るべき存在ではなかった。

 

元奥さんもまた、

ぼくに守ってもらうような

ひとではなかった。

 

それも、あくまでも

ぼくがそう想っている、

ということだけれど。

 

地球を守るとか、

自然を守るとか、

国とか仲間とか、

そういう諸々も、

ぼくは今まで、命を懸けて

守る氣がなかったんだと想う。

 

あるいは、その覚悟がなかったのか。

 

ぼくに子どもがいれば、

その意識は変わっていた

かもしれないけれど、

天の采配でそうはならなかった。

 

いや。

ぼくの何かがそうさせたんだろうな。

 

だからぼくは、いままで、

必死に自分を守ってきたんだろう。

 

自分のプライドや、意地や、

こだわりや、美学のようなものや、

自分が自分だと想ってきたもの。

 

それを必死に守ろうとしたんだろう。

 

ここ数日、

子どもたちといる機会が多かった。

 

子どもたちは強く、賢く、

ぼくなんかよりも

いろいろなことを本能的に

既にわかっている。

 

教わることがたくさんある。

けれど、守るべきものでもある。

 

正直なところ、

ぼくは子どもたちを守るとか、

未来の子どもたちのために生きるとか、

そのあたりがピンときていなかった。

 

子どもがあまり好きではなかったのもある。

 

でも、ぼくが何かを命懸けで守る、

という意識、覚悟がなかったんだ。

 

昨日、ぼくは一度死んだ(笑)。

そして、命懸けで何かを守ることに

スイッチが入った感がある。

 

まずは、大切なひとたち。

 

大切な仲間たち。

 

大切なひとが大切にしているもの。

 

子どもたちも、もちろんそう。

 

自分の小さな自我やプライドや、

信念とか体裁とか美学とか

そんなもんは、もうどうでもいい。

 

ぼくには、ぼく自身以上に

守りたいものがあると氣付いた。

 

相手が守ってほしいと

思おうが、思うまいが、

どっちでもいい。

 

ぼく自身が、自己中心的に、

守りたいものを命懸けで守る。

 

そんなことを考えている。

 

そう想える存在がいてくれることに、

心からありがとうと言う。

 

いつもありがとう。

 

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嫉妬

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ここ最近、

絶賛モヤモヤ期だった。

 

というか。

ひょっとすると、この半生、

ずっとそこでモヤモヤ

し続けてきたのかもしれない。

 

モヤモヤの原因は、

シンプルに言えば「嫉妬」だ。

 

この感情を、ぼくは全方位的に持っている。

 

大切な仲間が輝いて見えるとき。

大切な仲間が自分を生き切っているとき。

大切な仲間がカッコ良く見えるとき。

大切な仲間に対して、敵わないなと想うとき。

 

もっと恥ずかしいことを言えば。

 

大切なひとが、誰かと笑っているとき。

大切なひとが、誰かを頼っているとき。

大切なひとが、誰かを誉めているとき。

大切なひとからの愛情を感じられないとき。

 

ぼくは嫉妬の塊になる。

そして、心を閉ざす。

 

そんなことを繰り返してきた。

 

そんな自分が好きかと言えば

そんなはずもなく。

 

カッコ悪い自分、

ダサい自分、

いやらしい自分、

イケてない自分。

 

自分をそう見て、勝手に落ち込んだ。

 

落ち込み切れば良いものを、

中途半端に隠して、

そんな自分を見ない振りをして、

体裁だけを調えてきた。

 

いま、宇宙の采配で長崎・国見にいる。

ここで、ぼくは一度死んだと思う。

 

大切なひと、大切な仲間のために生きる。

そのことに、改めて、いや初めて

許可をおろすことが出来た。

 

大切な仲間が輝いているのを見て

嫉妬しているときは、

ぼくも、そう在りたいのだなと想う。

 

大切なひとが誰かを頼っているのを見て

嫉妬しているときは、

その隣に、ぼくがいたいのだなと想う。

 

ぼくのミッションは、

大切な仲間、大切なひとのために

100%生きること。

 

それが自分本位でもいい。

自己中心的であっても構わない。

 

それがぼくという生命体なんだと

確認することが出来た。

 

嫉妬している自分を認める。

そして、そんな自分を好きでいる。

 

ひとからの見返りは、求めない。

 

もちろん、何か見返りが有れば嬉しい。

 

大切な仲間が、ぼくがしたことで

喜んでくれたら嬉しい。

 

大切なひとが、ぼくのために

笑ってくれたなら、心が躍る。

 

でも、そのためにやるんじゃない。

 

ぼくの大切なひとが、たとえ

ぼくのことを好きでなくても良い。

ぼくの方を向いてくれなくても良い。

 

そうじゃなくて。

それが欲しいのじゃなくて。

 

ぼくがぼくを生きるために、

大切なひとのために生きる。

 

それはときに、

大切なひとと

距離を置くことかもしれない。

大切なひとに

何もしないことかもしれない。

 

それは、人間的には

つらいことだ。

 

大切なひとの近くにいたいし、

何かしてあげたいし。

 

大切なひとから何かしてほしいし、

優しくもしてほしい。

 

でも。

 

本当に大切なひとを

大切にするためには、

ぼくがぼくとして生きるしかない。

 

というかね。

大切なひとはいつも繋がっていたし、

すべてをくれていたんだよ。 

ほんとはね。

 

そのことに、やっと氣がついた。

遅いけど。氣ついてよかった。

 

ぼくが大切なひとのために生きること。

そのことそのものが、もはや

ぼくにとってのギフトであり、

喜びである、と決めた。

 

そのために、ぼくは生きる。

 

いつもありがとう。

大切な仲間に。

大切なひとに。

 

心から愛を込めて。

 

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