自分の感情に責任を持つ

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自分の感情に責任を持つ


当たり前のことを書くね。

 

嬉しいときは喜んでいいし、

悲しいときは悲しんでいいし、

怒ったときは怒っていいし、

楽しいときは笑っていいし、

切ないときは泣いていいし、

寂しいときは寂しいと思っていい。

 

自分の感情に素直になっていい。

と、改めて思っている。

 

「あのひとがこう言ってくれたから、嬉しい」

「あのひとがこんなことをしたから、腹が立つ」

「あのひとがこうしてくれないから、悲しい」

「あのひとが一緒にいてくれないから、寂しい」

 

こんな風に想うことはないだろうか。

正直に言えば、ぼくはある。

 

うん。一見間違いじゃない。

でも、これは嘘だ。

嘘というか、すりかえをしているだけだ。

 

ぼくの感情は、どこから生まれているのか。

そう。当然ぼくの中からしか生まれてこない。

 

他人からこうされたから、

こう言われたから、は、

あくまでも出来事でしかない。

 

出来事そのものには、

ポジティブもネガティブもない。

嬉しいも、悲しいも、寂しいも、苦しいもない。

それをどう捉えるかは自分次第だ。

 

自分がどうしたいか、どう感じたいか、

相手のことをどう見たいのか。

それこそが重要だと思ってる。

 

相手の言動や氣持ち、考えかたを

ぼくが変えることはできない。

 

でも、相手のことをどう想いたいか、

どう見たいか、

どう感じたいのかは、

ぼくのココロの持ちようで決まる。

 

相対した相手のことを

素晴らしいひとだと見ることも、

ひどい人間だと見ることも、

愛情あふれるひとだと見ることも、

愛のない人間だと見ることも。

 

すべてはぼくが決めている。

 

ときには、

なんでこんなことをするんだろう、とか

なんでこんなことを言うんだろう、とか

なんでこうしてくれないんだろう、とか

 

思うこともある。そりゃあるよね。あるある。

 

でも、それすらも、そう感じるのは自分。

相手の意図や本心がどこにあるのかは、

相手にしかわからない。

 

だとするならば、自分が感じた感情を

しっかりと受け取った上で、

相手の素晴らしさを信じ切りたい、とぼくは思う。

 

もちろん、その「素晴らしい」ってのも

ぼくのモノサシでしかないけれど。

 

こんなことを言ってくるあのひとは、イヤなやつ。

こんなことをするあのひとは、自分勝手。

こうしてくれないあのひとは、

ぼくのことを嫌ってる。

 

いや、そうじゃない。

相手には相手の想いがあって、考えがあって、

感情があって。

 

だからそういう言動になっている。

 

きっと、ぼくにとっても相手にとっても、

そうすることが最良だったに違いない。

 

そりゃさ、そう思えないことだってたくさんあるよ。

でもね、自分の感情を

相手のせいにしないひとでありたい。

ぼくはね。

 

ぼくの感情は、もちろん動く。

辛いこともあれば、悲しいこともある。

 

 

自分の感情は、自分が作り出している。

だからこそ、自分自身の感情をきちんと見て、

フタをしないで、受け止める。

 

その上で、

どうしたい?どう捉えたい?

相手のことをどう見たい?どう想いたい?

と感じてみる。

 

そんなことを最近考えた。

 

いつもありがとうございます。