やさしい


f:id:abenob2010:20180810183936j:image

 

ひとは基本的に、誰もが

やさしい、と思う。

 

困ったひとがいれば

助けたいと思うだろう。

 

悩んでいるひとがいたら

手を差し伸べたいと思うだろう。

 

うん。そのこと自体は

とても素晴らしいし、

美しいとも思う。

 

でも、ときには静かに

そのひと自身の

挑戦や

困難や

苦労を

見守ることも

必要なのかもね、と

最近は感じている。

 

ついつい、ぼくは

悩んだり、凹んでいるひとを

励ましたり、

応援したり、

相談に乗ろうとする。

 

より正確に言えば、

相談に乗って

役に立とうとしたがる。

 

でも、そのことが

かえって、相手をそういう状態に

追い込んでしまうんじゃないか、

と考えたのだ。

 

目の前のひとが悩み、

凹んでいることに

自覚的であるならば、

それはそのひとが

ひとまず解決すべき問題だ。

 

ぼく(ひょっとすると男性全般)は、

特に女性の悩みや

落ち込んでいる姿に

つい過敏に反応してしまう。

 

これはもしかしたら、

母親を悲しませたくない、という

男の子的潜在意識の

なせる業かもしれん。

 

でも、相手は多くの場合

ぼくやあなたの母親ではないし、

多くの場合、

立派な一人の大人である。

 

相談があれば、

向こうから相談してくる。

 

そのときに初めて、

相談に乗ればいい。

話を聞けばいい。

 

解決策があるならば、

提示すればいい。

 

求められてもいないものを

提供しようとするのは

我欲に他ならない、と

自戒を込めて考えている。

 

基本、ぼくは求められたいひとで、

誰かの役に立ちたいひとである。

 

その上せっかちだし、

結論を急ぎたいくせもある。

 

だから、正直なところ

待つのは好きじゃないし、

はっきり言って、しんどい。

 

でも、待つ。

 

というか、「見守る」を

身に着けたいなと思う。

 

なぜならば、それこそが、

本当にやさしいってこと

じゃないかと思うから。

 

目の前のひとの最高次元を

常に見続けて、

そのひとの苦難やチャレンジを

静かに見守る。

 

なにか、手出しをするわけではない。

ただ、静かに見守る。

 

そして、相手から求められれば、

ぼくの全力で、そのひとの

役に立てる何かをする。

 

それが、ぼくが理想とする

「やさしいひと」だと感じる。

 

そして。

ぼくが考える

「やさしいひと」であるためには。


まず自分が幸せであること。

これが必要だと感じている。

 

自分がすでに幸せであることを、

きちんと自覚すること。

 

自分が幸せの状態にいるからこそ、

目の前のひとがいかに

悩み、苦しみ、困難にぶち当たっていても

「大丈夫」と見守ることができる。

 

ぼくはそう感じている。

 

ぼくは、そういう

「やさしいひと」でありたいと思う。

 

 

○お知らせ その1○

固定概念を手放して人生を楽に楽しく先読みする速読

『楽読』の体験会はこちらから
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar

 

○お知らせ その2○

8月19日 18時~

宇宙の法則を活かして、

より豊かな人生を送るためのカリキュラム

「リターンスクール」体験会をやります。

 

ご興味ある方は、

個別メッセージorメールでご連絡くださいね。