自分


f:id:abenob2010:20180726143928j:image

 

ぼくは本当は、

自分のことしか

考えていなかったのだなと

痛感する出来事が最近あった。


日常生活やブログや何やらで

いろいろ言ったりやったり、

していたけれども。


実はそれも一皮むけば

「いいひと」と思われたい

だけだったんじゃないか、と

思わざるを得ない出来事があった。


うん。否定できない。

いまはそう思っている。


いま感じているのは、

たとえ、そうだったとしても。

そんな自分でも許せるか?

ということ。


自分の深いところ、

自分の潜在意識

と言ってもいいけれど、

無意識で考えていること、

感じていることを見に行く。


すると、ときに、

とてつもなく醜い自分に

出会うことがある。


ぼくの場合なら。

相手を尊重すると言いながら、

コントロールしようとしている自分。


ひとから好かれたくて、

いいひとを演じようとしている自分。


どこかで他人のせいにして、

自分は悪くない、被害者だと思ってる自分。


自分のこと、自分の欲を満たすことしか

考えていない自分。


自分で自分を満たせなくて

ひとからの承認をクレクレと言ってる自分。


まじかよ、と思う。

でも、それこそが真実だと感じる。


そして、ぼくの場合は落ち込む。

自分がとてつもなく嫌になる。


これは決して、

自分を否定しよう、

と言ってるわけではない。


ダメな自分のままでもイイよね~と

言いたいわけでもない。


ありがたいことに、

現在地がわかったということ。

 

まずは、そんな自分がいることを認める。

バツじゃないし、ダメじゃない。

 

もちろん、イヤな氣持ちには

なるけどさ。それでも。


その上で、ぼくの理想はどこにある?

とセットし直す。


ぼくは、

大切なひとが

大切にしているもの・ことを、

同じように大切にしたい。


表も裏もなく「いいひと」でありたいし、

できることならひとから好かれたい(笑)


でも、好かれなくても

氣にしないひとでいたい。


この世界はすべて

自分が創り出している、と思いたい。

何事も他人のせいにはしたくない。


ひとをコントロールしないひと

でありたい。


それはつまり、

ひとからもコントロールされたくない

ということでもある。


大切なひとから

大切だと思われたいし、

できることなら好きだと思ってほしい。


でも、こちらの想いが届かなくても

大切なひとを応援し続ける自分でありたい。


ココロの奥底に、

自分勝手だったり、醜悪だったり、

自分の理想ではない想いがあったとしても。


それをも見つめて、自覚できる自分でありたい。


自覚できれば、変えられる。


嫌いな自分で居続けるのは、

ぼくの理想ではない。


毎分、毎秒、

理想の自分に近付いていく自分でありたい。


こんなことに氣付けたのも、

ぼくの大切なひと(たち)が

いてくれるから。


ひとりでは、とても見に行けない。

兆しがあったとしても、眼をそむけてしまう。


理想とは違う自分を

きちんと見る、向き合う。


それをさせてくれた、

大切なみんなに感謝しています。


いつもありがとう。