応援

 
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ひとは利己的、自分勝手だといわれる。

 

でも、実は本能的に、
自分以外の誰か、何かを
応援したい生き物なんじゃないかな。
本当は。

 

でなければ、
ワールドカップもそうだし、
サッカー、野球もそうだけれど。

 

勝っても負けても
自分の損得には何の影響もない
スポーツ選手たちを
あれだけ熱心に応援できるだろうか。

 

ときには身銭を切って
ときには時間を費やして
ときには声が枯れるまで叫んで。

 

うん。とても本能的、原始的な喜びが、
そこにはあるんじゃないかな。

 

その氣持ちは、ぼくもよくわかる。

 

ぼくは長いこと、
出身地(札幌だ)のサッカーチームを
熱心に応援していた。

 

最近はあまり現地観戦できていない
けれど、動向だけは追いかけている。

 

同じように、
いやいまはそれ以上に
ぼくには応援したいひとがいる。

 

何人もいるから、
ほんとうは「ひとたち」なんだけど
ここはひとつ、「ひと」と書くよ。

 

そのひとは、ひょっとしたら
ぼくの応援を必要としていない
かもしれない。

 

ぼくよりも立派で、ステキで、
ものごとに真剣に向き合っていて、
とても素晴らしいひとだから。

 

ぼく以外にも、
たくさん応援してくれるひとが
いるだろう、とも思う。

 

ぼく以外にも、
より力になれるひとが
いるだろう、とも思う。

 

でも、ぼくはそのひとを応援している。

 

たとえば。
サッカーの応援で、
ぼくの声援が選手に直接届かなくても。

 

「あなたのおかげで勝てました」
なんて言ってくれなくても。

 

ぼくは勝手に、そのひとを応援する。

 

そして、いまも輝いている
そのひとが、
さらにその輝きを増したとき。

 

ぼくはそれを見てニヤニヤしたい。
そして誰かに
「前から応援しとったのや」と
ドヤ顔で言いたい。

 

そんなことを想っている。

 

誰かを応援することは、
見返りを求めることではない。

 

もちろん、選手から
「いつもありがとうございます」とか、
言ってもらえりゃ、そりゃ嬉しい。

 

でもね。いいんだよ。いいの。
そのためにやってんじゃないの。

 

応援すること、応援できること
そのものが、ぼくの宝なんだ。

 

そして、いま感じるのは、
そのひとを応援するに値するだけの
自分になろうってこと。

 

自分の価値、存在意義、実力、
なんでもいいけれど、
とにかくそういうものを
磨いて、鍛えて、育んで。

 

そのひとを応援するに値する
自分に、さらになっていこうねって、想う。

 

そう想わせてくれる
皆さんに、ありがとうを贈ります。

 

このブログを読んでくださってるあなた。
そして読んでないあなたも。

 

応援してます。
いつもありがとう。

 

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