さよなら、愛しきめんどくさいひと

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「めんどくさいひと」と言われることが多い。自分でもそう思う。


AかBかと訊ねられているのに、Aはこうで、Bはこうで、そう言いつつCもあって、みたいなアタマの声(思考)が先に立って、シンプルに答えが出せない。


たぶん、より正確に言うと、自分の中での答えは出ているのだけれど、その答えをシンプルに発する勇氣(←適切な表現が見つかるまで仮置き)がないんだと思う。


なぜ、シンプルに答えが出せないか。無意識に「めんどくさい」をやっているから、これも仮説なのだけれど(既にこの時点でめんどくさい)、「間違えること」に対する恐怖があるんだろうと推察している。


○瞬間的に出てきた答えを信じ切る

例えば、うどんが良いか、そばが良いかと聞かれたとき、瞬間的に「うどん!」と思ったとする。


・・・でも、ここはそば屋だからそばの方がおいしそうだなとか、そういえば一昨日もうどんを食べたばかりだったなとか、余計な情報がアタマを駆け巡る。


ま、これは「間違い」というには少し大げさだけれど、反射的に出てきたものが自分の本心なのか?というところに自信を持てなかったのだ。


だから、アタマでもっともらしい理屈を付けようとする。だから、シンプルとは程遠くなっていく。


これでも、昔に比べれば自分の感覚・感性を信じられるようになってきた。以前は本当に、自分が感じていることより「どちらが間違いではないか」というアタマで言葉を紡いでいたのを思い出す。


「間違いではない」とは、つまり「正解があって、それにより近いもの」を選ぶという発想だ。


場の空気、相手の顔色、社会通念、自分の中にあるルール、固定観念エトセトラ。それらにより合致するものを選ぼうとしていたのだ。でも、それは自分の本当の望みとはズレる可能性が高い。


ちなみに、感覚・感性を開くきっかけとして「楽読」はおススメである。理屈や論理、思考を司る左脳ではなく、感覚、感性、直感を司る右脳優位の状態を(半ば強制的に)作るから、アタマのブレーキが働きにくくなる。故に、自分の本当の気持ちや感情に氣付きやすくなる。


ぼくは楽読を受講し始めて、そういう自分の思考グセに氣付き始めたと思う。


話がそれた。


○さようなら「めんどくさいひと」

で。もうぼくは「めんどくさいひと」をやめることにする。


自分の感じたこと、瞬間の反応をアタマ(思考)でブロックして、理屈をこねくり回して行動する。もちろん、それが好みならそれでも良い。でも、ぼくはもっとシンプルに生きたい。


これからのぼくは、好きなものは好き、嫌なものは嫌だという。いま自分が感じていることを重視し、場の空気を読むよりも、自分の内側を読みに行くことを意識する。


もちろん、それで一時的に失敗することもあれば、痛い目に遭うこともこともあるだろう。ぼくが発した一言で相手の表情が曇ったり、場の空気が悪くなったりして「あんなこと言わなきゃ良かった」と思うことも起こるかもしれない。


でも、それはそれ。本当に自分の内側から発露したものならば、実はそれが(後々になって)完璧であることに氣付くのだ。


実は最近、そんな経験をした。だからこそ、自信を持って言える。


○全ては、良くなるために起こっている

少し前。ぼくはあるコミュニティの運営に関して、自分の内側から聞こえる声に耳を傾け、それに従ってある提案をした。

 

ぼくはみんながその提案を喜んで受け入れ、とんとん拍子で進んでいくと思っていた。


ところが、実際にはぼくの予想とは全く逆に、提案は受け入れられず、むしろ良い雰囲気だったメンバーとの間に不穏な空気が漂ってしまった。


ぼくは当たり前だけれど、少なからず落ち込んだり、なんでそうなるのかと悩んだりもした。

 

やっぱり、後先考えずに自分の感情なんて信じてはいけないんじゃないかとも考えた。


でも、実はそれが完璧なのだ。人間的にはもちろん辛いけど。時間が経ってみて、起きたことの意味や、良い側面が見えてきた。


今回のぼくの提案に関して言えば、ぼくが見ていたのはあくまでも一側面だけであり、多角的に判断して、さらに良いやり方が見つかった。新しい方向性が見えたのだ。

 

それは、ぼくが提案をしたことで、メンバー間で色々と話し合った結果、生まれたものでもある。


提案した直後は最悪と言っても良かった他メンバーとぼくとの関係も、対話を重ねるごとにお互いの考えていることや見ている世界を共有でき、さらに関係が深まった感がある。


○まずは、直感や感情を認めよう

だからこそ、恐れずに。


もう、このあたりは自分自身に言い聞かせている。


自分の内側が求めることを(半ば反射的にでも、無理やりにでも)してみる。どうしてもできないときは、そう思った自分を認める。

 

「なるほど、ぼくはいまラーメン屋にいるけれど、親子丼が食べたいのだな」とか。


ぼくのように、長いこと自分の内側の声を封じてきた人にとっては、まあまあの修業だと思う。

 

でも、そうやって自分自身と繋がり続けて生きることは、喜びである。人間業では考えられないミラクルが起きたりする。


そして、それをアタマで判断しないで認めよう。受け取ろう。


アタマの思考でガチガチになって、がんじがらめになっていたぼくですら、ここまで来れたのだ。大丈夫。あなたにだって必ずできる。まずは、自分の直感や感情を100%信じるところから。


よければ、一緒に始めましょう。

 

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