「できない自分を許容する」(ぼくの出会った名言集)


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「『できない自分』を許容する」(N氏)


ぼくの師匠筋の一人で、何度か当ブログにも登場したことがあるN氏は、非常につかみどころの難しい人である。


一見、ものすごく怖いようにも見えるし、単なる氣の良いあんちゃんにも見える。純国産の日本人にも見える反面、外国人と言われても信じそうになる雰囲気もある。


ものすごく思慮深く、何か深ーいことを考えているように見えて、実は何も考えてなかったりする。そうかと思えば、油断しているととんでもなく的確かつ切れ味の鋭い一言を放り投げてくることもある。


彼の放つ言葉もまた、つかみどころが大変難しい。なるほどねと納得したつもりでいたら、後から振り返ってみると実に浅いところでしか自分が理解できていなかった、ということも多々起こる。


そして、彼の放つ言葉は一見優しいんだけれども実は厳しかったり、逆にものすごくキツイように見えるけれど、実はものすごく優しかったりする。


実につかみどころがない。


○誰もみな「理想ではない」状態からのスタート

そんな彼が放った言葉が、冒頭の言葉だ。


皆さん、何か目標や理想を実現しようと取り組むことがあるはずだ。例えば、5キロ痩せるとか、大学や試験に合格するとか、仕事でノルマを達成するとか、憧れの異性とお付き合いするだとか、IWGPヘビー級のタイトルに挑戦するだとか、歌手としてデビューするだとか、まあ、色々ある。


その目標や実現したいことが叶えられた状態を、ひとまず「理想」と呼ぼう。ぼくらが「理想」を描くとき、当然ながらぼくらは「そうではない」状態からのスタートになる。


現時点で理想体重である人は、さらに5キロ痩せようとはしないだろうし、ノルマが達成できている人は、少なくとも「ノルマを達成したい」とは思わない。現チャンピオンは、チャンピオンベルトをほしいと言うわけがない。


だからこそ、ぼくらは理想を描いて、その状態に向かっていく。


すぐに叶えられる理想は置いといて、ぼくらが描く理想が実現するまでには大抵タイムラグがある。


新日本プロレスに入団したての若手が、いきなりチャンピオンになることはない。5キロ痩せたい!と思っただけで次の日に5キロ痩せられるなら、この世の中にこれだけダイエット本が出回りはしない。


ぼくらは理想を描いた時点では、まだ「理想ではない」自分でいる。


○「理想ではない自分」を直視できるか

理想ではない自分は、多くの人にとって快適ではない。だって、「できない自分」を直視するから。


描いた理想に対して、今の自分がなんと情けなく、カッコ悪いことか。「こうありたい」という理想が高ければ高いほど、ぼくらの挫折や絶望感、今の自分に対する無力感は大きくなる。


そんなとき、ぼくらがすべきことは「できない自分を許容すること」だ。今の自分はここまでしかできない、こういう状態にある。理想に対してこれだけ差がある。そういう諸々を直視すること。


体重65キロが理想で、今が72キロなら、どうやって7キロ減らすかを考えればいい。「なんで72キロなんだ!」と嘆く必要はないし、もっと言えばそんなヒマはない。売上目標が1000万円なのに、実績が5万円ならば、残りの995万をどう売り上げるかを必死に考えればいい。


でも。ぼくら(いや、ぼくだけの話かもしれない)は往々にして、理想と現在地が離れているとわかった瞬間、理想をずらしたり、現在地をわざと見ないことがある。なぜかって?「できない自分」を認めたくないし、直視したくないからだと思う。


「いや、別にチャンピオンとか興味ないし」とか「別に彼女とかいらないし」とか「ぼくは72キロくらいがちょうどいい」なんてなことを言い、理想から目を背ける。そうすれば、理想と違う、できない自分と対面しなくて済む。


逆に「思えばかなう」とか「夢は必ず実現する」みたいなことを(おかしな形で)信じ切ってしまうと、「思うだけで理想は実現するんだよ!」とか「夢見ていれば、いつか絶対叶うよ!」とか「ぼくの想いは、きっといつかあの子に届くはず!」などと、理想だけが先行してしまうこともある。


うん。これもまた、理想の状態にない自分を直視しているとは言えないよね。


○理想を現実化する、と決める

「できない自分を許容する」のは、簡単で優しいようでいて、実は苦行だ。だって「できない」自分をしっかり見る必要があるから。プライドが高い人は、この「できない」という現実を受け入れるのに苦労するだろう。


なぜなら、ぼくがそうだから。


理想の実現に取り組んでいる間、ぼくらは常に「できていない」自分でいる。


それをどれだけ直視して、なおかつ許容できるか。「できない自分はダメだ」ではなく「できないけど取り組んでる自分、イケとる」と、どれだけ思えるか。「できていない今の自分」を認めて、できるまでやり続けられるか。


できない自分を許容するステップの前には、「理想を現実化すると決める」ステップがある。


「思えば叶う」も、「夢は必ず実現する」も、間違いではない。理想を実現すると決め、その思いが強ければ強いほど、「どうしたらその夢に近づくか」、「できない自分ができるようになるか」を真剣にサーチする。

 

で、理想を実現したいという強い思いがあればあるだけ、自分が見つけてきたことを真摯に、肚をくくって取り組むはずだ。それが、どれだけ過去の自分のプライドを傷つけるものでも。


そして、できない自分を許容しつつ「できるまで挑み続ける」という、実にシンプルかつ泥臭い展開が待っている。

 

多くの人(過去の僕も含めて)は、ここで挫折する。出来ていない自分を直視できず、あるいは許容しきれず、あるいは理想を実現すると決め続けられず、途中で諦める。


○プロセス無視。理想だけを見る

絶対に雨を降らせる祈祷師は、雨が降るまで雨乞いの儀式を辞めないし、諦めない。


山を眺めているだけでは、頂点に立つことはない。どんな登山口を通り、どんなルートで上るかはわからないとしても、一歩を踏み出さない限りは、頂上に近付くことはない。


ぼくらが理想を実現するのも同じこと。理想を実現すると決めて、それに向かって何かに取り組むしかない。プロセスは神のみぞ知る、だ。


ぼくらが新日本プロレスの新弟子だとすれば、チャンピオンになるという理想を決めて、ランニングや縄跳び、ウェイトトレーニングをして体を鍛え、リングの設営を手伝ったり兄弟子の練習につき合わされたりしつつ、理想を見続けるしかない。そうこうしているうちに、チャンピオンへの挑戦権が得られるだろう。


「AがBだからC」とか、「これをやる意味は何か」を考えても仕方がない。ぼくらに見えている理想へのプロセスなんて、高が知れている。


実際には、ぼくらの想像がつかないとんでもないところから理想を実現する道が開けたり、理想が渡されたりする。

 

でもそれは、ぼくらが毎日コツコツバーベルを上げ、腕立てを欠かさず、兄弟子の関節技から何とか脱出しようとする日々を、肚をくくって送ってきたからに他ならない。


それはでも、「ここでこう筋力が付いたから」とか「この技をこう返せるようになったから」とか、だけではない。

 

ぼくらが理想を実現すると決め続けたからだ。

 

 

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