遊ぶように生きろ


f:id:abenob2010:20191106093817j:image


どうも。あなたの想いを文章にして遺す、ライターの「あべのぶお」です。

 

〇最近のマイブーム

MCバトルにハマっている。

 

MCバトル(エムシーバトル)は、MC同士で行われるヒップホップ文化が発祥のラップバトルである。

(中略)

日本のMCバトルの大会においてはDJが流すビートに、MC同士が小節ごとに即興の歌詞を用いてフリースタイルのラップをし、お互いのスキルを競い合う。勝敗は即興性、内容、ディス、韻、フロウなどを総合して判定される。相手から言われたことに対してアンサーがちゃんと返せているかもバトルにおいて重視される。

出典:Wikipedia「MCバトル」

 

日本では『フリースタイルダンジョン』というテレビ番組で、一気に知名度が上がった感がある。ぼくもこのあたりから入ったクチである。

 

MCバトルの面白いところは、何しろ「楽しそう」なこと。ディス(要は相手の悪口や痛いところをつく発言)をし合いながらも、なんやかんやお互いに楽しそうなのである。

 

そして、いかに言いたいことを言いながらもビートに乗って、韻を踏むか。そういうやり取りを本当に楽しそうにやっているのが、見ているこっちにも伝わってくる。

 

MCバトルについては言いたいことがたくさんあるので、また別途記事にすると思うけれど、今回は「遊ぶように生きる」ことについて書いていきたい。

 

〇いつか死ぬ。いつか全員死ぬ

どうせ(と、敢えて言おう)この人生は寿命があるのだし、ある意味期限付きの生命を受けて「この世ツアー」をしているだけだ。死んだら、(たぶん)あの世へ還っていく。

 

そう考えるなら、苦しく、鬱々として、苦虫を百匹嚙み潰したような顔で生きていくのが良いか、それとも、楽しく、笑いながら、遊ぶように生きていくのが良いか、どっちが好みだろう?

 

もちろん、どちらも選べる。あなたが苦しく、鬱々として生きていきたいならば、それはそれで全く問題ない。でもぼくは、そうではなくて、遊ぶように生きていきたい。

 

「遊ぶように生きる」と言うと、

「責任のないヤツは好き勝手なこと言える」
パーリーピーポー乙」
「そんなに世の中甘くない」

的な想いを持たれる人もいるかもしれない。

 

でも、実際にぼくに会ったことがある人ならばわかると思うけれど、決してぼくは(あくまで自己評価だけれど)クラブでテキーラをがぶ飲みしたり、女子をはべらせてウェイウェイしたり、借金を踏み倒してチャラチャラしているような人間ではない。

 

それなりに仕事もしているし、妻子こそ今はいないけれど、大切な人は大切にしていきたいと思っているし、人との約束も守りたいと思っている。

 

そういう諸々と「遊ぶように生きる」こととは、全く別の話である。

 

〇この人生を何に使うか

もう一度言う。どうせぼくらは、いつか死ぬ。あの世へ還っていく。とするならば、この生きている間に何ができるか。何を遺せるか。人生をかけて、何を成し遂げられるのか。それを追求することが何より大切じゃないか、とぼくは思っている。

 

その一生を、家族を養うことに捧げてもいいし、ギャンブルや酒に溺れる生活に使ってもいいし、出世街道を突き進むことに血道を上げてもいい。

 

ただ、そこには「楽しさ」や「遊び」がほしい。自分が本当にやりたいことと、人から求められていることの一致を目指して、取り組んでいきたい。

 

これはもう、ぼくの持論であり、好みの問題である。

 

人の感情は、伝播する。フラットに近い感情の人が9人と、不機嫌な人が1人いたとしたら、残り9人も多少の差はあれど、不機嫌側に引っ張られる。そういうもんだ。

 

逆もまたそうで、心から楽しそうな人と一緒にいると、自分まで楽しくなる。そんな経験はないだろうか。

 

だとするならば。自分から「苦しい、辛い、嫌だ」を発信するのと、「楽しい、笑える、明るい」を発信するのと、どちらを選びたいだろう?

 

もちろん、常に僕が上機嫌で居続けている、というわけではない。

 

好きな女性に振られた瞬間に「ハッピー!!」なんて口が裂けても言えないし、本田翼の熱愛報道なんて聞いた日にゃ、「F〇〇k!!!」とハリウッド映画ばりに叫んでしまうかもしれない。

 

仕事が大変な時はしんどいなあと思うし、うまくいかない時は当然凹む。嫌な思いをして、怒り狂うことだってある。

 

当たり前である。

 

それでも、である。

 

自分の中で「遊ぶように生きるんだ」と決めていたとするならば、そういう出来事すらも「遊び」に変えられるんじゃないか、と思っている。

 

「遊ぶ」とは、決して楽なことだけではない。辛いこともあるし、「できない」を味わうこともある。

 

特にこの世の遊びは、ゲームのように、自分のレベルに合わせて少しづつハードルが上がる仕組みになっていないことが多い。目の前に立ちはだかる高い壁に、もはや絶句したり、諦めたくなることだってある。

 

うまくいかないことも、思う通りにならないことも、努力が報われないことも、不公平さを感じることも、想いが届かないことも、自分の無力さを嘆くことも、失敗や失態を後悔することも。

 

そりゃ、ある。

 

でも、ぼくは思う、というか、思いたい。

 

それすらも、遊びの一環だ。

それすらも、楽しんで生きたい。

 

それがぼくの「遊ぶように生きる」ことである。

 

別に、皆さんそうしましょうね、というつもりはない。ただ、その方が、どうせ限られた人生、面白く過ごせるんじゃないかな?と思うだけだ。

 

全ては、好みの問題。全て選べる。

 

ぼくは「遊ぶように生きる」を選ぶ。

 

だから自分に常に「遊ぶように生きろ!!」と言い続ける。

 

はらわたが煮えくり返りそうになる時ほど(笑)。

 

=====
あなたの想いを文章にして、後世に遺します。
人に伝えたい、遺したい想いがある。
けれど、どうやって伝えたらいいかわからない。
そんなあなたのために、
あなたの想いを文章化するサービスを始めます。
ご興味ある方は、ご連絡ください。

=====

 

=====


本当のあなたの可能性に出会う、
人生を楽に楽しく先読みする速読
『楽読』の体験会は↓↓こちら↓↓から
https://rth.co.jp/access/yaesu/seminar


=====