遊ぶように生きろ
どうも。あなたの想いを文章にして遺す、ライターの「あべのぶお」です。
〇最近のマイブーム
MCバトルにハマっている。
MCバトル(エムシーバトル)は、MC同士で行われるヒップホップ文化が発祥のラップバトルである。
(中略)
日本のMCバトルの大会においてはDJが流すビートに、MC同士が小節ごとに即興の歌詞を用いてフリースタイルのラップをし、お互いのスキルを競い合う。勝敗は即興性、内容、ディス、韻、フロウなどを総合して判定される。相手から言われたことに対してアンサーがちゃんと返せているかもバトルにおいて重視される。
出典:Wikipedia「MCバトル」
日本では『フリースタイルダンジョン』というテレビ番組で、一気に知名度が上がった感がある。ぼくもこのあたりから入ったクチである。
MCバトルの面白いところは、何しろ「楽しそう」なこと。ディス(要は相手の悪口や痛いところをつく発言)をし合いながらも、なんやかんやお互いに楽しそうなのである。
そして、いかに言いたいことを言いながらもビートに乗って、韻を踏むか。そういうやり取りを本当に楽しそうにやっているのが、見ているこっちにも伝わってくる。
MCバトルについては言いたいことがたくさんあるので、また別途記事にすると思うけれど、今回は「遊ぶように生きる」ことについて書いていきたい。
〇いつか死ぬ。いつか全員死ぬ
どうせ(と、敢えて言おう)この人生は寿命があるのだし、ある意味期限付きの生命を受けて「この世ツアー」をしているだけだ。死んだら、(たぶん)あの世へ還っていく。
そう考えるなら、苦しく、鬱々として、苦虫を百匹嚙み潰したような顔で生きていくのが良いか、それとも、楽しく、笑いながら、遊ぶように生きていくのが良いか、どっちが好みだろう?
もちろん、どちらも選べる。あなたが苦しく、鬱々として生きていきたいならば、それはそれで全く問題ない。でもぼくは、そうではなくて、遊ぶように生きていきたい。
「遊ぶように生きる」と言うと、
「責任のないヤツは好き勝手なこと言える」
「パーリーピーポー乙」
「そんなに世の中甘くない」
的な想いを持たれる人もいるかもしれない。
でも、実際にぼくに会ったことがある人ならばわかると思うけれど、決してぼくは(あくまで自己評価だけれど)クラブでテキーラをがぶ飲みしたり、女子をはべらせてウェイウェイしたり、借金を踏み倒してチャラチャラしているような人間ではない。
それなりに仕事もしているし、妻子こそ今はいないけれど、大切な人は大切にしていきたいと思っているし、人との約束も守りたいと思っている。
そういう諸々と「遊ぶように生きる」こととは、全く別の話である。
〇この人生を何に使うか
もう一度言う。どうせぼくらは、いつか死ぬ。あの世へ還っていく。とするならば、この生きている間に何ができるか。何を遺せるか。人生をかけて、何を成し遂げられるのか。それを追求することが何より大切じゃないか、とぼくは思っている。
その一生を、家族を養うことに捧げてもいいし、ギャンブルや酒に溺れる生活に使ってもいいし、出世街道を突き進むことに血道を上げてもいい。
ただ、そこには「楽しさ」や「遊び」がほしい。自分が本当にやりたいことと、人から求められていることの一致を目指して、取り組んでいきたい。
これはもう、ぼくの持論であり、好みの問題である。
人の感情は、伝播する。フラットに近い感情の人が9人と、不機嫌な人が1人いたとしたら、残り9人も多少の差はあれど、不機嫌側に引っ張られる。そういうもんだ。
逆もまたそうで、心から楽しそうな人と一緒にいると、自分まで楽しくなる。そんな経験はないだろうか。
だとするならば。自分から「苦しい、辛い、嫌だ」を発信するのと、「楽しい、笑える、明るい」を発信するのと、どちらを選びたいだろう?
もちろん、常に僕が上機嫌で居続けている、というわけではない。
好きな女性に振られた瞬間に「ハッピー!!」なんて口が裂けても言えないし、本田翼の熱愛報道なんて聞いた日にゃ、「F〇〇k!!!」とハリウッド映画ばりに叫んでしまうかもしれない。
仕事が大変な時はしんどいなあと思うし、うまくいかない時は当然凹む。嫌な思いをして、怒り狂うことだってある。
当たり前である。
それでも、である。
自分の中で「遊ぶように生きるんだ」と決めていたとするならば、そういう出来事すらも「遊び」に変えられるんじゃないか、と思っている。
「遊ぶ」とは、決して楽なことだけではない。辛いこともあるし、「できない」を味わうこともある。
特にこの世の遊びは、ゲームのように、自分のレベルに合わせて少しづつハードルが上がる仕組みになっていないことが多い。目の前に立ちはだかる高い壁に、もはや絶句したり、諦めたくなることだってある。
うまくいかないことも、思う通りにならないことも、努力が報われないことも、不公平さを感じることも、想いが届かないことも、自分の無力さを嘆くことも、失敗や失態を後悔することも。
そりゃ、ある。
でも、ぼくは思う、というか、思いたい。
それすらも、遊びの一環だ。
それすらも、楽しんで生きたい。
それがぼくの「遊ぶように生きる」ことである。
別に、皆さんそうしましょうね、というつもりはない。ただ、その方が、どうせ限られた人生、面白く過ごせるんじゃないかな?と思うだけだ。
全ては、好みの問題。全て選べる。
ぼくは「遊ぶように生きる」を選ぶ。
だから自分に常に「遊ぶように生きろ!!」と言い続ける。
はらわたが煮えくり返りそうになる時ほど(笑)。
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