「言いたがり」卒業宣言


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良いとか悪いとか、そういう評価は一旦置いておくとして、ぼくの特徴として「人になんやかんやと言いたがる」クセがあるんだなー、と最近氣付いた。それは相手の言動に対する感想やフィードバックのこともあれば、アドバイスという形を取ることもある。


様々な形を取りつつ、ぼくは人に何かを言いたがる人なんだなー、と改めて思った。


最初にも書いたけれど、このこと自体は決して良いことでも悪いことでもない、とぼくは思っている。なるほど、ぼくはそういう人なんだなと捉えている。ただ、「この先どうしたいか?」で言うと「出来るだけ、自分からなんやかんや言うことを減らしていきたい」と思っている。


○何を言うかより、誰が言うか

師匠筋のK氏と話していて「何を言うかより、誰が言うかの方が重要だったりするから」という言葉が出てきた。おっしゃる通り。アタマでは知っているし、わかってるつもりなんだけど。


何も言わないことが美徳だとは思わない。自分が想ったこと、感じたことを相手に伝えることが悪いことだとも思わない。ただ、ぼくはそのアウトプット量が多過ぎるなと自分では感じる。特に関係が近い人や、ぼくが氣にかけている人に対しては特に、だ。


これはもちろん、愛が故にだとは思う。相手のことを想って発する言葉であることは間違いない。ぼくが想ったこと、感じたことを相手に伝えるのは、相手にとって決してマイナスにはならないと信じている。


でも、それこそ「誰が言うか」、見方を変えれば、相手が「誰からその言葉を聞くか」で、相手の受け取り方、受け取れる量は大きく変わる。


○自分自身を生きた、その先にあるもの

いままでのぼくはきっと(いまから書くことを自分で認めるのは人間的にとても辛いし、しんどいのだけれど)、人に影響を与えたいと思っていたのかもしれないな、と思う。


書いてみて、改めて感じるのは「それって我欲だよなあ」ということだ。結局、自己満足の世界でしかない。

 

相手のためを想っているように見えて、潜在意識的には自分の虚栄心や自己顕示欲を満たしていたのかもしれない。そういうことを、やっちゃってたかもしれないなあ、そういう側面はあったかもなあ。

 

ま、過去のことは仕方がない。それすらも全て完璧な流れだと思ってはいるけれど。


ともかく。でも、いまのぼくは、何かを発言することで周りの人に影響や氣付きを提供することよりも、自分自身が自分自身を精一杯生きることが役割なんだな、と思い始めている。これも、さっき出た師匠筋のK氏と話していて改めて氣付かせてもらったことだ。


ぼくはいままさに、人体実験の真っ最中だ。「こうしたら、こうなる」、「こう動くと、こう返ってくる」、そんなことに日々取り組んでいる。

 

そういう中で氣付いたこと、感じたことは、こうして皆さんに(勝手に)ブログを通じてシェアさせていただいている。


実はこのシェアは、一番ぼくのためになっている。考えたことや感じたことを一度文章にすることで整理できる。そして、再度自分の中に落とし込める。


それは良いとして。こういう人体実験を通じて得た経験や学びは、極端な話、口に出さなくても会った人には伝わると思う。そのあたりの自信、あるいは確信が、今までのぼくにはなかったんだろう。


だから、ぼくは「言いたがり」から卒業する。もちろん、発言を求められればするし、何か言わなきゃいけないときには言うけれど。


ぼくは、言葉の力を(相変わらず)信じている。だからこそ、その力を100%発揮出来る自分になるためにも、「敢えて言葉にしない」ことを学ぶ必要があると感じている。


自分の在り方だけで、人に想いを伝える。そんな修行を始めたいと思う。

 

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