「さびしい」という感情について考えた


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(夏の思い出。うんまかった。)

 

■さびし・い【寂しい/×淋しい】

[形][文]さび・し[シク]《「さぶし」の音変化で、動詞「寂(さ)びる」に対応する形容詞》
1 心が満たされず、物足りない気持ちである。さみしい。「―・い顔つき」「懐が―・い(=所持金ガ少ナイ)」「口が―・い」
2 仲間や相手になる人がいなくて心細い。「一人―・く暮らす」
3 人の気配がなくて、ひっそりとしている。さみしい。「―・い夜道」
 
(以上、『デジタル大辞泉』からの引用)
 
強がるわけではないのですが、僕自身は自分のことを「さみしがり屋」だと思ったことはありません。ただ、先日、さみしがりを自任している友人と話をしていて、「いや、でも私もさみしがりかもしれないぞ」と思ったのです。んで、「さびしい」とは何か、と思って、まずは辞書をひいてみたというわけ。
 
僕と友人がテーマにしていた「さびしい」は、おそらく「2」か「3」でしょう。ひょっとすると、「仲間や相手になる人がいなくて心細く」、その結果として「心が満たされず、物足りない気持ち」になるという合わせ技一本かもしれませんけど。
 

■どんな時に「さびしい」のか

友人は「恋人や好きな人が、物理的に近くにいないとき」、さびしさを感じるのだと言います。なるほど。確かに、そういう「さびしさ」は、よく言われますよね。恋人と会えないさびしさ。うん。あるでしょうね。
 
私?例えば、パートナーと会えないさびしさは、そんなに感じたことがないです。別に興味がないとか、どーでもいいと思っているわけではなくて、「パートナーが無事で、元気に、楽しく暮らしているだろう」と思えば、別に自分の近くにいようといまいと、あまり関係ないと感じるのです。
 
逆に、物理的には近くにいるのに、その人の心がココにいないときの方が、よほどさびしさを感じます。幸い、パートナーからはそういう印象を受けたことはないですけれど。
 
例えば、友人・知人と一緒にいて、みんながワーッと騒いで楽しくしているのに、自分だけなぜかその輪に完全に入りきることができないとき。ああ、私は一人だ、みんなとは遠く離れてしまっているのだなと感じる時の方が、私はより「さびしさ」を感じます。
 
あるいは、目の前の人が、私に話しかけているのだけれど、ココロは別の人を懸命に探しているとき。あああ。あなたが悪いわけではないけれど、私はさびしいと思う。
 

大事MANブラザーズバンド、かく語りき

「ここにあなたが いないのがさびしいのじゃなくて 
ここにあなたが いないと思うことが さびしい」
 
1991年(もうそんな前か!)に大ヒットした、大事MANブラザーズバンドの曲「それが大事」の中のフレーズです。一発屋としての印象が強すぎ、またメッセージ性も強いために見逃されがちなフレーズではあると思うのですが、私、このフレーズは結構好きでして。
 
実は、「誰かがここにいない」ということ自体は、決してさびしいことじゃない。「離れている」という事実が起きているということは、自分にも相手にも、今はそれぞれがいる場所から離れられない理由があるということ。それならば、それぞれが今いる場所で、すべきことを全力ですればいい。
 
僕の場合、彼女(僕のパートナーは女性です)がどこで、何をしていたとしても、元気に楽しく、彼女らしく生きていてくれれば、僕のココロは満たされるし、心細くもない。つまり、ここに彼女がいなくても、さびしさを感じることはないわけです。でも、「ここにいない」ことにフォーカスすれば、きっとさびしくなる。
 
「物事は捉え方一つで、どうとでも変わる」。私は、そう思って生きています。
 

■とまあ、偉そうに書いてきたものの。

パートナーの旅立ちが、まもなく近付いております。色々な人から「さびしくないんですか?」と聞かれ「さびしくないですよ、なぜなら・・・」と、上記のような説明をしてきたのですが。出発が近づいてきてみると、アレ?さびしいかも?と、思う自分を発見したりしています(笑)。
 
20年近く、たまには離れて過ごすことはあったにしても、3カ月近く離れるという経験をしてこなかったわけですから、実際のところ、さびしさが沸き上がってきてもおかしくない、かもしれない。じゃあ、今までエラソーに書いてきたのは何だったのか?と問われると、まあ、アタマではそう思ってるということです。
 
実際、旅立った後も「あ、案外さびしくないや」と思うかもしれないし。
 
本当にさびしかったら、会いに行けば良いわけだし。
 
というかまあ、こんなことをグダグダ書いてるってことは、さびしいんだな、きっと(笑)。あるいは、今はそうでもなくても、徐々にさびしくなるかもしれないので、友人の皆さん、ぜひ遊びに来てください。あるいは、私と遊んでやってください。ぜひ(切実)。