アタマを借りる
(旅の途中で食べた、宇都宮の餃子。美味い)
アウトプットすることは、とても大切だなあと最近思います。
アウトプットすることで、自分の考えが整理されることがよくあります。「整理されたものをアウトプットする」のではなく。
このブログもそうで、書き出したタイミングでは、ちょっとした思いつきでしかないことも多々あります。思いつきだけで押し切ってるという説もなくはないですが。
しかし。自分が考えたことや、感じたことを言語化していく過程で、「こういうことだったのか」と、自分でもって妙に納得することがあるのです。
「他人のアタマを借りる」という言い方があるそうで。
確か、ボストンコンサルティンググループかなんか、有名コンサルティングファームでのことだったと思うのですが。例えば同僚に「ちょっとアタマ貸して」と。
※本件、調べてみたらマッキンゼーだったみたいです。つうか、似たようなもんだろ?とは思ってますが。
これは何かと言うと、自分がやろうとしていることやプレゼンなどを、その人に聞いてもらうと。そうすると、自分のアイデアの良いところや不備が(自分でも)見えてくるし、人が聞いて「ココが良く分かんない」とか「ココは面白い」といったフィードバックがもらえると。
正直な話、今までの僕はコレがニガテで。
人に何かを話すときは、あくまでも「発表」であり「報告」であり、自分の中で固まったもの、定まったものを出すもの、という考えでいました。だから、人から「ココはこうじゃないの?」とか突っ込まれると、アタフタしてしまう。だって、本人はカンペキだと思って説明してるんだもの。
最近、ようやく「柔らかい段階で人の意見を聞く」ということができるようになってきました。コレはホント、僕にとっては大きな第一歩で。
一人で考えるのには限界があって、人の目を意識するだけでも、考えが引き締まり、客観的が生まれる。フィードバックをもらえればそれはそれで良し。ただ聞いてもらうだけでも、「人に分かってもらえるように」という意識が働く分、表現が磨かれる気がします。
なので、私にとってこのブログ、並びに読者の皆さまは、本当にありがたい存在なのです。
皆々様のアタマをお借りしているようなことなのです、私にとっては。
アウトプットは怖い。だって、どういう反応が返ってくるか分からないから。だから、自分の中で煮詰めて、カンペキにして出そうとする。それが、かえって完成度を上げられない要因になってたりするわけです。
ウム。皆さま、今後とも是非、アタマ貸してください(笑)。