力を抜くのか、力が抜けるのか


当たり前といえば当たり前なことなのだけれど、「肩の力を抜く」といったことを言う。

 

(妄想、ここから)

 

「もっと肩の力を抜いて、気楽にやってみたらどうかね、きみ」

 

なんてなことを、まじめが取り柄で四角四面で、融通が利かない社員に対して、ちょびヒゲのちょい悪おやじ的な社長が声をかけたりする。

 

言わんとしていることは、たぶん間違っていない。たぶんまじめな彼は、あまりにまじめで融通が利かな過ぎるために、社内で色々と不都合を起こしているに違いない。でも、それが間違っているわけではない(むしろ正しい)から、誰も責めることはできない。でも、不都合が生じていることは事実。

 

そんなわけで社長としては「もっと肩の力を抜け」なんてことを言うわけだ。

 

(妄想、ここまで)

 

でも、現実に「肩の力を(能動的に、あるいは意識的に)抜ける」という人はどれくらいいるだろうか。「抜けるよーって方は手を上げて」などと、お笑いライブのMCであれば客いじりをするのかもしれないが、あいにくこちとらブログである。淡々と話を進める。

 

たぶん、多くの人は意識的に方の力を抜く、ということはできないんじゃないか、と思う。想像だけど。

 

そもそも、肩がどういう構造になっていて、どこ(もっと細かく言えば、どこの筋肉)に力が入っているのか、わかるだろうか。ぼくはわからない。で、わかったところで、そこの力を抜けるかどうかも、かなり怪しい。

 

でも、「抜ける」ことはあるかもしれない。自然と、肩の力が抜けてしまうこと。

 

もし、まじめで優秀な彼が「肩の力が抜けた」状態になったら、どうなるか。おそらく、今まで以上に良い成果を出すんじゃないか、とぼくは勝手に期待している。

 

身体に力が入っている状態だと、物事があまりうまく進まない、というのがぼくの最近の確信になりつつある。何度も例えに出すけれど、全身にバッキバキに力の入っているバッターと、力が抜けていて自然体でバッターボックスに入っているバッター。どちらが良い結果を出しそうかといえば、おそらく自然体でいる選手だと思うはずだ。

 

おそらく、自然体の選手は投げられたボールに対して自然にバットを出し、インパクトの瞬間に力が「入る」。入れるというよりも、入るという感じでおそらくボールを飛ばすのではなかろうか。

 

「抜く」のか「抜ける」のか。「入れる」のか「入る」のか。「決める」のか「決まる」のか。

 

どっちでもいいし、どちらかが必要なケースもあるだろう。でも、「力を抜かなきゃいけない」でもないし、「力を入れなきゃいけない」でもない。自分の力だけで何かしようと思うと、そうなるかもしれない。そうじゃなくて、「自然と」力が抜ける・力が入る、ということもあるんじゃない?と思ったのである。

 

これは、身体に限ったことではない。

 

意識や気持ちも、何かに囚われていたり、無駄に力が入っていたり、あるいは逆に抜けすぎていたりするよりも、自然と力が入ったり、無駄な力が抜けたりする方が良いんだろうなと思う。

 

それが出来ないから困るんだけれども。

 

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