「人が作ったものではないもの」を見ること

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先日、友人に誘われて鋸山に行ってきた。

 

鋸山とは何かというと、山である。

 

これではさすがに「読者をバカにするな」と暴動が起きかねないのでもう少し説明すると、千葉県にある、山の中に建てられた寺院である。詳しくは、ウィキペディアにお任せしたい。

 

ja.wikipedia.org

 

鍛えている人にとってはさほどでもないルートなのだろうが、体力に全く自信のない私としては、ゼーゼー言いながら階段をのぼり、何とか見て回った感じであった。

 

ただ、ふもとは海、そして山の中に寺院というなかなか自然にあふれた風景で、とてもよかった。

 

また別の日には、友人と海へ夕日を見に行く機会があった。

 

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空の青さと、太陽の光のオレンジのグラデーション。太陽が沈んでいくスピードが思ったよりも早くてびっくりしたり。そして、海に太陽の光が反射してきれいだったり。

 

誰が言ってたのか忘れたが(確か、脳科学者の養老孟司さんだった気がするけれど、確証がない)、「一日に一度は『人間が作ったものではないもの』を見る方が良い」というようなことを言っていた。これはすごく示唆に富んでいる、とぼくは思っている。

 

都会に住んでいる人々は特に、目に映るもののほとんどが「人工物」である。家の中なんて、ほぼ9割人工物ではなかろうか。人間が作ったもの、ということは、自然ではない。人間も動物の一種であり、自然の一部だとするならば、これは大変不自然な状態に身を置いているということになるではないか。

 

それでも別に構いませんけど、と思う方も多いかもしれないが、実は、このことが我々をじわじわと追いつめているんじゃないか、と思ったりもする。

 

自然なもの、天然物は(これはぼくの感覚でしかないけれど)何というか、人間の本能の部分に何かを訴えかけてくるような気がしている。化学繊維にそでを通し、化学物質でできた家に住み、目に映るものすべてが人工物だと、ひょっとしたら人間の感性や本能は鈍ってくるのではないか、という気すらする。

 

自分を自然の中に置いてみる、というのは、ぼくは人間として生きていく上で、とても大切なことなんじゃないか、と思っている。

 

「食べるのが好き」という人が多いのも、実は、「食べ物」の多くが人間が作り出したものではない(養殖とか栽培はしているだろうけれど)がゆえに、何か食べ物の自然の波動というか、空気を感じ取っているのではないか、と勝手に思ったりする。

 

自然豊かな環境に身を置くのも、絶対に良いと思う。でも、それが出来なくても、日々の食事の素材や原料に想いを馳せてみると、ひょっとしたら、自分が自然の一部だということや、自然の中で生かされている、ということが理解できるようになるかもしれないな、と思っている。

 

まあ、ただ単に食いしん坊なだけかもしれないけれど。それはさておき。

 

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