「自分が死ぬ時」をイメージする
ゴーマンになるくせがある。これには自覚がある。
こんな感じの決め言葉のマンガがあったよなあ、と思いつつ、個人的には傲慢でありたいとは決して思っていない。なのだけれど、そうなることがけっこう良くある。困ったもんだ。
で、その対処法として「死ぬ時のことをイメージする」ということを教わった。言い換えれば「終わりを思い描く」ということだ。
自分が死んだ時、どういう状態でいたいか。何を遺して、何を為していたいのか。そこから考える。そうすると、今の自分が出来ていないことや、足りない部分がよく見えてくる。
そうすると、ゴーマンになりようがない。だって、終わりの(言い換えれば最終的な理想の)自分から見たら、偉そうなことが言えるわけがないと気付けるからである。
今の自分が多少なりとも、何か出来ているとか、多少は人に比べて何かある、と思ったら、その時点でゴーマンの芽が出始めている。そうなると、ぼくの場合はついつい他の人の足りていない部分や、できていない部分に目を向けてしまう。そしてそれを攻撃したり、指摘したくなる。
もちろん、相手がもっと良くなる、素晴らしい状態になるためにそれを伝えるというのであれば、それはそれでいいことだと思うけれど、そうでないのならば、単にぼくのわがまま、あるいはカタルシスのために言っているわけで、相手のためにはならない。
まずは自分が死ぬ時にどういう自分でありたいか。それをイメージしてみる。そうすると、「あ、自分もまだまだだよね」と人を責める気は失せる、んだろうと思う。
人のことをとやかく言う前に、自分はどうなんだと、いい意味で自分に矢印を向けられる自分でありたいねと思う。
人のことをどうのこうのと言いたくなるということは、自分自身がどこかで、今の状態で満足してしまってるということなのかもね、とも思う。もう少し言葉を変えると、究極、どっかでヒマなんだろうなとも思う。
そういう自分ではいたくない。
自分に対して期待をして、死ぬ時にこれだけのことをできた自分、こういう理想を現実化できた自分をイメージして、今を生きる。ある意味自分に厳しくなる。そういう意味で、自己中心的な自分でありたいなとも思う。
みんながみんなそうでなくても良いと思うけれど、つい矢印を他人に向けてやいのやいの言いたくなるぼくは、まずは未来の自分との約束を果たすべく、今を粛々とこなせる自分でいたいなと思っている。
人のことを責めたり、何か言いたくなるときは、それを意識していこうと思う。そうすると、人のことでいちいちイラッと来たり、責めたりするヒマがなくなるはずだ。
ついでに言えば、人を責めてしまった、ゴーマンになってしまったと落ち込むヒマもなくなるはずだ。そういう人に、私はなりたい。
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