伝える、と伝わる


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想いがあるのに、伝わらないのはもったいない。


人にはそれぞれ、秘めた想いがある、とぼくは思っている。

 

それを秘めたままでも構わないし、表に出さなくても構わない。

 

ただ、「伝えたいんだけど、伝わらない」というのは、どうにもこうにももったいない、とぼくは思っている、らしい。

 

相手に何かを伝えるというのは、とても簡単なようで、意外と難しい。

 

「伝わればいい」だけならばまだ比較的簡単だけれど、伝えたいということは、その裏側に「こちらの望んだ行動を、相手にとってほしい」というのがくっついてくることが多い。

 

氣になる異性に「好きです!」と伝えるとき、多くの場合は付き合ってほしいとか、結婚してほしいとか、そのたもろもろ、まあなんかそういうのがある。

 

洋服屋の店員さんが「お似合いですよ」というときは、洋服買ってね、が多くの場合付いてくる。

 

まあ、そういうものだ。

 

もちろん、相手のためを想って伝える、ということもあるだろう。でも、そこにも相手の成長や、変化を期待するこちらの氣持ちがある。

 

それを、相手が受け取りやすく伝えるのには、それ相応の技術がいる、とぼくは思う。

 

「想いがあれば伝わるんだよ!」的思考は、わかるけど、ぼくは採らない。

 

『伝える本』という本を読んで、コピーライターである著者の山本高史さんは伝えるための技術として「相手が聞きたいことを言う」と書いていた。たしか。

 

言い換えると、相手が聞きたいと思う言い方をする、ということになると思う。

 

一理ある、と思う。

 

同じことを言ってるけど、この人から聞くと理解できるけど、この人からは全く聞けない、ということもある。

 

そりゃ、ある。仕方がない。

 

伝える側としては、聞いてくれる話し方や、聞いてくれる人になること、聞いてくれる可能性を高める関係性を作る努力をする必要がある。

 

伝えられる側としては、できるだけ聞く姿勢と、相手によって判断を変えない意識とを持つ必要があるんじゃないか。

 

人はみんな、伝え手であると同時に受け手である。何かを発信し、何かを受信して生きている。

 

だから「人間」である。

 

いまから人間やめます、って訳にもいかないし、山の中で一人で仙人のように生きるのも難しい(そして辛い)。テレパシーが使えれば良いけれど、今のところまだ使い手が少なすぎる。

 

だとしたら。ぼくらはまだまだ、コミュニケーションというか、伝える技術、受け取る技術を磨く必要があるんだろうなぁ、と思う。

 

そんなことを、使えないバイトを叱る店員がいるラーメン屋で考えた。

 

店員さん。あんたの言いたいこともわかる。でも、その言い方じゃ伝わらないんだと思うよ。

 

バイトさん。あんたの想いもわかるけど、相手の言うことは聞こうよ。

 

「自分の話は伝わらないかもしれない」

「相手の言うことを理解しよう」

 

そんなお互いの歩み寄りが、世の中を少しマイルドにするんじゃないか。そんなことを思っている。

 

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