人の本分
人には、「本分」というか、生まれ持った性質というか、もっと飛ばした表現をするならば「生まれてきた目的」というものがある。
これは、人間的な好みとか、好き嫌いとか、どうありたいかも、もちろん作用するものだけれど、もっと根源的なものだったりもする。さらに言うと、本人がそのことを忘れてしまっていることもある。
例えばぼくは、本当は人前に立って目立つのが好きだと思っていたけれど、キャラクター的には(あるいは、「仕様」的には)裏方周りをやる方が得意だし向いているし、実際には好きらしい、ということに最近気づき始めた。
ぼくみたいなジミメン(地味なメンバー)は、どんなに頑張ってもアカレンジャーにはなれないし、キムタクにはなれない。獣神サンダーライガーにもなれない。
下手すりゃゴレンジャーにもスマップにも入れない可能性が高い。プロレスを見ながら、ぼくがずーっと地味だ地味だと思っていたエル・サムライだって、実はすごい人なのである。
でも、ゴレンジャーだって、たぶん自分たちでバイクや車のメンテナンスをしているわけではないだろうし、武器の開発なんかも自分達ではできないだろう。
スマップ(ああ、ここでスマップを例にとるべきではなかったか。でも他わかんないからいいや)にしたって、衣装さんや音声さん、メイクさん、舞台設営やプロデューサー、そのたもろもろの協力があってこそ、ステージで輝けるわけだろうし、テレビで活躍できるわけだ。
レスラーだってそうだ。様々な人々の協力、支えがあってこそ、スポットライトを浴びることができる。実は、チャンピオンベルトに挑戦できるということは、そういう諸々を考えるととんでもなくものすごいことなのである。
そう。誰もがアカレンジャーを目指さなくて良い。さらに、誰もがゴレンジャーにならなくて良いのだ。
とはいえ。
ぼくらはやっぱり、ゴレンジャー、特にアカレンジャーに憧れるわけだし、スマップ、特にキムタクに注目してしまうわけである(いや、これは人によるか)。やっぱり獣神サンダーライガーに憧れるし、そうでなくても、エル・サムライのようにリングに上がってスポットライトを浴びたいと思う。
ただ、それは実は「本当の自分の願い」ではない可能性もある。
ハデメンは、どうやったって目立ってしまう。どこに行っても目立つ。別に表に立ちたくないのに、なぜかリーダーやキャプテンを任されてしまう。静かに飲んでたいのに、なぜか乾杯の音頭を頼まれる。
それはそれで、勘弁してくれよ、と思うかもしれない。
でも、それはもう宿命のようなものだし、たぶんハデメンたちのDNA、あるいは魂レベルにそれが刻み込まれてしまっているのだ。
逆に、ぼくらのようなジミメンたちには、その要素はない。ただ、ハデメンたちにはない喜びが確実にある。
ハデメンたちが舞台に上がって華やかに活躍している裏で、その進行を滞りなく進めているのが、実は大いなる喜びだったりする。
ハデメン=正義、カッコイイ、ステキ、憧れ、花形、というのは固定観念である。
この固定観念を外してみると、実は、自分は表舞台よりも裏方の方に喜びを感じる、と思う人も多いはずなのだ。
まとまらないのだけれど。
言いたいのは、もしあなたが、ハデメンを見て嫉妬したり、うらやましくなったり、自分の華のなさを憂いたりしたならば、2つの可能性が考えられる、ということ。
一つは、ハデメンのように活躍できるのに、いまそうじゃない、という悔しさ。
もし、あなたが表舞台に立つことこそが喜びであるならば、そこに至るまでの努力をし続ければいい。それはきっといつか、花を咲かせる。
アカレンジャーでなかったとしても、アオレンジャーとしてかもしれない。キレンジャーだって、ぼくらジミメンからすればすごい存在だ。
獣神サンダーライガーではなく、エル・サムライとしてかもしれない。しつこいようだが、それだって本当に素晴らしいことだし、とてつもないことだ。
もう一つは、あなたが自分をジミメンと認識していないか、認めていない可能性。
そしてもし、あなたが表舞台に立つこと以外に喜びを見出せるのならば、その場所こそが、あなたの舞台である。
たとえ、スポットライトが当たらなくても、
たとえ、歓声を浴びることがなくても、
たとえ、チャンピオンベルトを高々と掲げることがなかったとしても。
その場所こそが、あなたが輝ける仕事場である。
その場所こそが、あなたにとっての闘いの場であり、舞台であり、リングなのである。
ぼくは、そんな自分自身のフィールドで100%の力を発揮し続けるあなた方に、こっそりとチャンピオンベルトを贈呈したいと思う。
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