人生はプロレスである

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「人生はプロレスである」という、

むちゃくちゃな持論を展開したい。

 

裏を返せば、

「プロレスは人生である」

とも言える。

 

「プロセス」の打ち間違い、

とか、そういうことではない。

 

正真正銘「プロレス」、

プロレスリングである。

 

たぶん、このブログを読んでくださってる方の

多く(7~8割?)は、

そう言われてもピンと来ないと思う。

 

でしょーーーね!!とも思う。

 

ぼくも、いきなりそんなことを言われても

「ですよね!!」とは

言えないかもしれない。

 

でも、敢えて言う。

 

みなさんがどう感じているかは

わからないのだけれど、

プロレスは、ああ見えて

技術力が必要なものである。

 

まず、基礎的な体力がないと

どうしようもない。

 

屈強な男(場合によっては女性)に

ぶん投げられたり、蹴られたりしながら、

15分なり30分なりの試合をこなすには、

当然それなりの体格と、

基礎体力がどうしても必要だ。

 

次に、「受け身」。

 

何の工夫もなく

技を受けているように見えて、

レスラーたちは受け身を

きちんと習得している。

 

そして、相手の技をきっちり受け切る。

 

もちろん、相手の技を食わないために

よけたり、防御することもあるけれど、

プロレスの妙味は「受けの美学」にある。

 

相手の技なんか一切食らわず、

自分の必殺技をとにかく

試合の序盤から繰り出せばいい、

というものではない。

 

それでは、カタルシスがない。

味わいがない。

 

相手の必殺技を受けて、

うーわーっと思っても、

カウント2で返す。

 

そういう応酬こそが

プロレスの醍醐味である、

とぼくは思っている。

 

その上で、

自分の持ち味を十分に発揮する。

 

レスラーには、色々なタイプがいる。

 

岩のような肉体で、

ゴリゴリ相手をねじ伏せる

パワーファイターもいれば、

華麗な空中殺法で魅了する

タイプの選手もいる。

 

ド派手な必殺技を繰り出す選手も、

地味な関節技が得意な選手もいる。

 

いろんなタイプのレスラーがいていい。

むしろ、色々なタイプがいた方がいい。

 

どの選手が良いも悪いもない。

その選手の持ち味が見られた時、

ぼくらプロレスファンは嬉しくなる。

 

ときには、

悪役に転じることもある。

 

それもまた、味わい深い。

 

勝敗は、もちろん大切。

 

でもそれ以上に、

そのレスラーの個性が

存分に発揮されることこそ、

プロレスの魅力だとぼくは思う。

 

それは、ぼくらの人生も。

 

経済的、社会的、家庭的に

「成功」することは、当然尊い

 

でもそれは、

自分の個性が

最大級に発露した結果、

であってほしい。

 

ぼくはそう願っている。

 

ド派手な必殺技を繰り出す

一部のスター選手だけがもてはやされる、

そんな世界ではなく。

 

エル・サムライ

渕正信のような

地味な実力者や、

自分の立場で役割を

きっちりこなす選手にも

スポットライトがあたる世界。

 

ぼくはそれがプロレスだと思うし、

人生とはそういうものであってほしい、

と思っている。