自分フィルター

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映画『イップマン 継承』を見ました。

 

通常、1、2があるものをすっ飛ばして

3を見ることをしない私なのですが

(『継承』は3作目)、

でも良かった。とても良かった。

 

本作品を見て、

言いたいことは色々あるのだけれど、

一つだけどうしても書きたいので書きます。

 

実はイップ・マン(葉問/人名です)、

ブルース・リーのお師匠さんに当たることでも

知られています。

 

本作『継承』には、

若かりし頃のブルース・リーとの

エピソードも出てきます。

 

あ、でも、史実と異なる部分も

あるようなので、

本当のことかどうかは知りません。

 

どんなシーンかというと。

 

イップ・マンの道場を訪れたブルース・リー

弟子入りを志願します。

 

それを聞いたイップ・マン、

ブルース・リーに対して

ちょっとしたテストを出します。

 

その最後に、イップ・マンは

ブルース・リーに対して水をかけ、

リーはその水を蹴ろうとします。

 

「水を蹴ることはできたかね?」

と尋ねるイップ・マン。

答えられないブルース・リー

 

イップ・マンは黙ってドアを開け、

ブルース・リーは出て行きます。

 

さて。物語が終盤に近付いた頃、

イップ・マンとブルース・リーが再会します。

 

そして、ブルース・リーは問いかけます。

「どうして、あの時、私の

弟子入りを拒んだのですか?」

 

イップ・マンは答えます。

「拒みなどしたかね?

私はドアを開けただけだ。

そして、そのドアから君が出て行っただけだ」

 

はい。このやり取り。

 

こういうことって、ぼくらの日常生活にも

起きてるよね、と思うのです。

 

相手の言動の意味や意図を、

こちらが勝手に推測して、

判断してしまうこと。

 

相手にはそんな意図はない

(かもしれない)のに、

勝手にそう思い込んでしまうこと。

 

ブルース・リーにとっては、

このシチュエーションで、

イップ・マンがドアを開けるという行為は

「弟子入りを拒まれた」ことと

イコールだったわけです。

 

イップ・マンは、ひょっとすると、

ブルース・リーが勘違いする可能性をも

見抜いていて、その上で

黙ってドアを開けたのかもしれません。

 

ぼくが見ているこの世界は、

ぼくが創り出しています。

 

同じように、

あなたが見ている世界は、

あなたが創り出している。

 

言い換えると、

ぼくらは、自分というフィルターを

通した世界を見ていることになります。

 

だからこそ、覚えておきたいのは、

自分のフィルターと他人のフィルターは

全くと言っていいほど違う、ということ。

 

なにか、他人の言動で

腹が立ったり、悲しくなったら、

これはホントにそういう意図だったのか?と

自分のフィルターを疑ってみることを

おススメします。

 

案外、こちらの勝手な

思い込みだった、

ということもあったりします。

 

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