『ボヘミアン・ラプソディー』

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ひょんなことから、

映画『ボヘミアン・ラプソディー』を見てきた。

 

ものすごくQueenファンというわけでもなく、

ものすごく詳しいわけじゃないけど。

 

ま、フレディ・マーキュリーだよねとか、

ブライアン・メイだよねとか、

バンドメンバーはわかるし、

有名な曲は知ってるよ、くらいの知識で。

 

行って、見て。

終盤はまあ、泣いてた。

 

実際には、事実と違う

部分があるって話も

あるらしいんだけど、それでも。

 

ここから先はネタバレ的になるので、

これから見て楽しみたい方は

読まない方が良いかもしれない。

 

ただ、映画とは関係あるけど、

関係ない話をするので

大丈夫かもしれない。

 

ま、どっちでもいい。

任せる(テキトー)。

 

ぼくがこの映画の

何に反応したかって、

それはもう

「家族」というフレーズである。

 

ファルーク・バルサラという青年が

フレディ・マーキュリーとなって。

 

Queenのフロントマンとして

様々なものを手にしてきた中で、

最も欲していたもの。

 

それが「家族」だった。

 

敬虔なゾロアスター教徒で、

厳格な父との確執。

 

バンドとして成功する中で生まれる

メンバーとのいざこざや仲違い。

 

愛する女性と結婚しながらも、

自らがゲイ(バイセクシャル?)

であるために、彼女と

離れなくてはならなくなったこと。

 

恐らく彼は

ずっと孤独だったし、

心のよりどころが

欲しかったんだろう。

 

ひとはいつまでも

生きられるわけではない。

 

ひとはいつか必ず死ぬ。

 

そのときに。

 

誰と一緒に居られるのか。

 

心が通じ合えた家族が

自分の周りにどれほどいるのか。

 

敢えて一緒にするけれど、

ぼくやフレディが求めているのは、

血がつながっているとか

どうとかではない。

 

「家族」とお互いに認めあって

心が通じ合えるひとたちがいること。

 

フレディにとって、それは

当然両親であり、妹であり、

恋人であり。

 

それと同時に、

ひょっとしたらそれ以上に、

別れた奥さんであり、

何よりもバンドメンバーだったんだろう。

 

ここはもう、想像の世界だけれど、

Queenは、音楽を通じて

お互いを理解し、尊重し合い、

認め合い、愛していたんだろうと思う。

 

少なくとも、映画を見た感想は

そういう感じ。

 

もちろん、実際にはそんな

きれいごとばっかりじゃない

んだろうけども。

 

クライマックスのライブシーン。

 

それがものすごく伝わってくる。

 

そして、フレディの心の声が

歌詞を通して聴こえてくる。

 

そこがまた、素晴らしくて。

 

ライムスターの宇多丸さんがラジオで

「自分の人生を肯定する映画」

ってなことを言ってたけど、

ほんとその通りだなと思って。

 

それが凝縮されてるのが

実は『We are the champions

の歌詞だったりするんだけども、

引用すると長くなるので、

サビの1フレーズだけ。

 

We are the champions, my friends,

And we'll keep on fighting 'til the end

 

我々こそが勝者なんだ、友よ。

そして、最後まで闘い続けるんだ。

 

そう。闘い続けよう。

きみの、あるいはぼくの

世界の勝者であり続けるために。

 

フレディ・マーキュリーは、

実に45歳の若さでこの世を去った。

 

でも、彼は世界の勝者になった。

 

それは富や名声を手に入れたから、

だけではなくて。

 

様々な出来事や

あるいは自分自身と

闘い抜いて、

素晴らしい家族との時間を

手にできたからだ、と

ぼくは思っている。