言動のくせ、思考のくせ

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口ぐせや言動のくせに、

そのひとの性格は現れる。

 

ということを、最近教わっている。

というか、身を以って体感している。

 

要するに、ぼくがぼく自身の

くせを知って、自分自身のことを

さらに知り始めているということだ。

 

たとえば、ぼくの場合

前置きが多い。

 

これは言い換えると

「言い訳を先にしている」

とも言い換えられる。

 

先に言い訳を置いて、

失敗を回避しようとしている

ということなんだろうと自分では思う。

 

それから、優柔不断である。

これも先の「前置きが多い」とも

通じてくる。

 

簡単に言えば、

それが正解かどうか、を

考えるくせがある。

 

実は、別に自分が選んだことが

正解でも不正解でも構わない。

 

もう一歩進めると

正解も不正解もないにも関わらず。

 

誰にでも、

こういう口ぐせや言動のくせは

あるんじゃないかな、と思う。

 

ただ、自分一人では氣付きにくい。

 

しかも無意識で発しているから、

さらに氣付くのが難しい。

 

無意識(潜在意識と言っても良い)に

我々が思っていることが、現実化する。

 

てな話を聞いたことはないだろうか。

アヤシイ、と思う方は、

そっとブラウザを閉じていただきたい。

 

信じるも信じないも、あなた次第である。

 

つまり、ぼくの場合は

「失敗するかもしれない」と

無意識で思っている、らしい。

 

だから、「失敗しないように」と

前置きをしたり、

行動に躊躇が出るんだろう、

と思っている。

 

「絶対にうまくいく」

「全てよくなるために起きている」

と確信しているひとは、

恐らく、なんやかんやと前置きを

言ったりはしないだろう。

 

成功するとわかっていれば、

行動を起こすことを

躊躇するはずもないわけだ。

 

ココロを見るのは、とても難しい。

無意識となれば、なおのことだ。

 

でも、発した言葉や、身体の動き、

行動を見るのは比較的やりやすい。

 

ということは、

自分の言動のくせに氣付けば、

自分の「思考のくせ」にも

氣付きやすくなるかもしれない。

 

そして、言動のくせを変えることで

思考のくせを変えられるんじゃないか、

という逆のアプローチも考えている。

 

 

そうすることで、

思考のくせも

変わってくるんじゃないか。

 

そんなことを考えて、

ぼくはいま日々実験中である。

 

でもまあ、前のくせが出ることもある。

それはそれで、仕方がない。

 

でも、氣付いたら変えられる。

人間、何かを変えるのに

遅すぎることなんてない。

 

ぼくはそう思っている。

 

〇お知らせ〇

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