自然体


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自然体であることについて、

最近よく考える。

 

ぼくは、できることなら常に

自然体でありたいなと想う。

 

でも、ときにそうではない、とも想う。

 

どうしたら自然体で

在り続けられるか?と

考えてみたら、

とても簡単なことに氣付いた。

 

例えば、

好きなもの、ことを

好きだと認めること。

嫌いなものも同じ。

 

自分が心地良い状態で

居続けること。

 

心地良くいられることを

選び続けること。

 

肩の力を抜くこと。

自分の氣持ちを

ありのままに表現すること。

 

常識や、ルールや、

ひとの思惑や反応や、

そういうものに

過度に反応しないこと。

 

その上で、自分を俯瞰すること。

 

「簡単なこと」と書いたけれど、

実践するのは、簡単ではない。

 

ぼくが最近取り組んでいるのは

「自分の感情を認める」こと。

 

あ、いまぼくは嬉しいのだな、とか

これは悲しいと思っているな、とか

嫌だなと思っているのか、とか

 

もちろん、感情は複雑で、

いくつもの感情が絡み合うことも多い。

 

でも、あえて俯瞰して、

よく見てみる。

できることなら、

アウトプット、表現してみる。

 

誤解してほしくないのは、

決して、自分の感情をただ

ダダ漏れにしたい、と言ってる

わけではない(なくはないけど)。

 

ぼくらは、自分の感覚・感性に

少しブレーキを踏み過ぎている、

ように感じている。

 

ひとにむやみに「好き」と

(あるいは「嫌い」と)言ってはいけないとか。

 

自分はやりたいことがあるのに、

周りの目を氣にしてできないとか。

 

相手に「こうしてほしい」があるのに

相手の機嫌を損ねたり、

関係性を壊すのが怖くて言えなかったり。

 

そう。わかる。

もちろん、よくわかる。

 

でも、自分の感覚、感性、感情を

止めると、滞る。

 

川の水も、せき止めれば濁る。

ひとの感覚、感性、感情もそう。

 

せき止めた想いは、

どこかで濁る。

場合によっては、腐り始める。

 

川は流れるがままにしたほうが良いし、

感情は溢れ出るままにした方が、

ぼくは自然じゃないかなと感じている。

 

例えば。

もし、あなたに大切なひとがいるならば。

その想いを表現してみてはどうだろう。

 

両親や、子どもたちや、仲間や、

恩人や、愛するひとや。

 

ひょっとしたら、

照れくさかったり、

きっかけがなかったり、

日々の忙しさに流されていたり、

相手からどう思われるかが不安だったり。

 

大切なひとに、あなたの想いを

伝えていない理由も、

きっとたくさんあるでしょう。

 

それでもいい。

 

ただ、もう一度言う。

せき止めた想いは、濁る。

 

溢れる想いは、流した方が

ぼくは良いと思う。

 

これはあくまで、

ぼくの自分勝手な想いである。

ぼくが自然体であるために

やりたいなと思ってること。

 

よければ、ご一緒に。

 

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