あきらめる

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あきらめよう(笑)。

唐突だけれども。


もともと、

「あきらめる」とは

「明らかにする」ことを

意味していた、という。


理由やプロセスを明らかにして、

納得して断念する。


これが「あきらめる」の

もともとの意味らしい。


そう考えると、

「あきらめる」というのは

とても前向きな思考である。


自分に必要か、そうでないか。

自分がやるべきか、そうでないか。


そういうもろもろを

「あきらめて」、

自分が為すべきことに集中する。

 

なにをあきらめて、

なにをあきらめるべきではないのか。


ぼくの師匠筋の一人が

「弱音を吐くチャレンジを始めた」

と言った。


「言い換えると、もっと謙虚になる」

とも。


弱音を吐かない、

むやみに人の手を借りない、

何でも自分でやる、

という姿勢は、とても尊い


でも、何から何まで、

自分一人で完璧にできるなんてのは

勘違いだし、ある意味では傲慢だ。


そこは「あきらめる」必要がある。

トライしてみて、

「あ、これは苦手かも」と思ったら

そのことが得意な人にパスをする。


ある意味、弱音を吐く。

ある意味、謙虚になる。


トライしたから、明らかになる。

明らかになったから、あきらめられる。


でも、それがいい。

お互いの得意を活かして、

お互いの苦手を補い合って

得意を持ち寄って生きていく。


そんな世界へ向かう第一歩として。


完璧な自分

何でもできる自分

人に迷惑をかけない自分

弱みを見せない自分


そんなもろもろを

あきらめる。

 

ぼくにも

あきらめるべきものが

たくさんありそうです(笑)

 

 

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