人の役に立ちたいというエゴ


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バリのアニキこと丸尾孝俊さんは「自分より相手のことが大切だと思ってするのが結婚」と言った。なるほど。

 

ぼくにとって「自分よりも相手のことが大切」とは、「相手の幸せがぼくの幸せであって、相手が幸せになるためにできることは何でもする」という氣持ちのこと。

 

当たり前に見えるかもしれないけれど、ぼくはこれを真剣にやり続けたいと思っている。

 

もちろん、大切な人、好きな人、愛しい異性に対してもそうだけれど、ぼくが大切にしている人出会う人、目の前にいる人には、幸せになってほしい。

 

ぼくの友人が、以下のようなことを書いていた(要旨)。

 

目の前の人を笑顔にしたいのも、究極なことを言えば自分のエゴだ。

 

目の前の人は、今世苦しみを味わいたくて来たのかもしれない。

 

でも、一周回って自分のエゴのために目の前の人を笑顔にしたい。

 

そのために、自分を磨き続ける。

 

ぼくはこの言葉(言い回しは全然違うけれど)を見て、ボエーと響いてしまった。

 

〇どっちに転んでもエゴならば

ぼくはずっと、目の前の人を笑顔にしたり、人に喜んでもらうのは結局、自分がその姿を見たいがためじゃないかと思ってきた。

 

そのことのために、人を利用するのはフェアじゃない、とも思った時期があった。

 

人から頼りにされたり、喜んでもらったり、感謝されたり、ということで自分を埋めるために、他人を利用しているんじゃないか?と自己嫌悪に陥ったり。

 

そう考えると、人に何かをしてあげるとか、愛を贈ることが何かおこがましいような、そんな氣持ちになったりもしたのだ。

 

だけど、もう考えるのはやめにした。

 

どっちにしろ、どう生きたにしろ、ぼくらはエゴの中でしか生きられない。

 

自分で自分を満たすために、みんな生きている。どっちに転んでもエゴだ。人とかかわりあう以上、エゴとエゴとのシーソーゲーム((c)Mr.Children)なわけだ。

 

だとすれば、自分がより氣持ちがいい、氣分が晴れる方を選べばいい。

 

頼りにされたければ、頼りにされる人になれば良い。

 

目の前の人を笑顔にしたいなら、その努力をすればいい。

 

人に何かしてあげたい!と思うなら、したら良い。

 

そう。どう転んでもすべて自分のエゴなんだから。

 

だから、ぼくはそのために、自分を磨き続ける。

誰かのお役に少しでも立つために。

そうして、自分で自分を満たすために。

 

 

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