情熱の嵐
昔々。もう20年以上軽く前の話。
年の離れた姉が唐突に「あんたに足りないのはこれだ」と言って、筆で半紙にすらすらと何か書き始めた。
姉が書いたのは「情熱の嵐」という四文字だった。
ぼくは一時期、その半紙を勉強部屋の壁に貼っておいた。その言葉に感銘を受けたわけでも、感心したわけでもなく、ただ姉に貼っておけと言われたからそうしたのだけれど。
ただ、いまにして思えば「ぼくに足りないもの」という意味では核心を突いていたのかもしれない、とは思う。
だいたい、そうでなければ20年以上前にあった、こんなちょっとしたエピソードを未だに覚えているわけがない。
○「情熱の嵐」のエネルギー
おそらく情熱は、もはや理屈や論理が通用する世界ではない。楽読的(というか脳科学的)に言うと、右脳の領域だと思う。「~したい!」という衝動や、アクセルを踏む力。
熱狂的なサッカーファンが、なぜあれほどサッカーに情熱を傾けられるのか。究極突き詰めれば「好きだから」でしかない。
一方、普段のぼくはどちらかと言えば冷静なひとだと思う。どちらかと言えば、左脳優位。「~すべき」、「こうしなければならない」といった考え方。どちらかと言えば、ブレーキを踏むタイプ。
ぼくは「情熱に従って行動を起こす」ことを、あまりやってこなかった。そう、姉に「情熱の嵐」と半紙に書いて渡された後もしばらく。ただ、それはそれでとても良い経験であったと思っている。
○やり方より在り方
例えば。何かに対して情熱が湧きあがったとする。
わかりやすいから、恋愛に例えてみよう。ぼくが誰かのことを好きになったとする。そりゃー、ぼくだって好きな人と結ばれたいし、良い関係を続けていきたいと願う。うん。情熱的じゃないか。
そのとき、ぼくはつい「どうしたら結ばれるか」、「どうしたら良好な関係を続けられるのか」に注目するクセがあった。ここに注意が行くと、「失敗しないように」という意識が自ずと発動する。
「どうしたら、相手から好意を持ってもらえるか」、「どうしたら自然に距離を近付けられるか」、究極「どうしたら、相手から嫌われないだろうか」にまで話が進む。こうなってくると、行動の根源にあったはずの情熱からはかけ離れている。
こういうときのぼくがどう動くかと言えば、例えば人に「どうしたらうまく行くと思うか」を聞いたり、ハウツーを読み漁ったりする。そう、「やり方」に走っていた。
「デートにはこう誘おう!」とか「こういうLINEは脈ありサイン!」とか、そんな記事を読んで、あーでもねーこーでもねーとアタマを働かせるのだ。
で、好きな子から来たメッセージにすぐ返事をすると、なんか待ってたみたいに思われるから少し寝かした方が良いんじゃないかとか、急速にあまり近付きすぎると嫌がられるかもしれないから、少し距離を置いてみようだとか、そんな分析にアタマを働かせていた。
いや、それでうまく行った過去データがあるならばまだしも、うまく行ったことがないのに(だからこそ、か)、こういうことばかり考えるのだ。
いまはわかる。これらはすべて実は時間のムダである。そんなことをあーだこーだ考えているヒマがあったら、まず閃いた通りに動け、という話なんである。
この辺は「やり方より在り方」とも言える。
○直感で行動し、冷静に解析する
何か物事を進めたり、成就させるには、情熱の右脳と冷静の左脳が絶対に必要だとぼくは感じている。右脳で行動し、その結果を左脳で分析・検証する。そのバランスが取れていればいるほど、ものごとはうまく行く。
情熱に基づいて、まず行動を起こしてみる。小さなことでも構わない。閃いたこと、ピンと来たこと、「これやってみたい」と思ったことをまずは動かしてみる。
その後、その過程や結果を分析・解析する。どうも、この方面ではなさそうだとなればとっとと止めれば良い。
もっとやりたい、アイデアも閃きまくる、さらに情熱が湧き上がる、楽しくて仕方がないとなれば、どんどんアクセルを踏めばよい。
これ、いまでこそエラソーにこんなことを言ってるけれど、まるで逆をやらかしていた。
行動する前に考えて、延々と考えて行動したり、しなかったりして。そして、その結果をくよくよ悔んだり、後悔したり。つまり、左脳で行動して、右脳で分析(というより単なる反芻)していたのである。
いまにして思えばバカじゃなかろうかと思うけれど、仕方がない。
○後先考えずにやってみよう
いつの頃からか、ぼくらは「勘が働く」とか「インスピレーションが湧く」みたいなことを軽視してきたように感じる。
「思いつきで行動するな」「良く考えろ」と、ぼくらは社会のあらゆるシーンで諭される。
でも、ぼくは全く逆のことを提唱したい。「小さなことを、後先考えずに始めてみよう」。
習い事とか、勉強も同じこと。情熱が湧き上がったんなら、とりあえず始めてみたら良い。それが続けば続ければいいし、続かないものはあなたには必要のないものだから、やめたらいい。
いくら衝動で動けと言っても、明日からどうやって食っていくかの算段もないままに「ピンと来たから、会社辞めます!」と友人が言い出したら、それはさすがに止めるかもしれない。でも、とりあえず1日サボってみるとか、そういうことは勧めると思う。
かのブルース・リー師匠も言っている。
「考えるな、感じろ」
そういうことを、ぼくは最近意識している。人体実験なうである。実験結果は、また追ってご報告したい。
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