お役割(あるいは、生まれてきた意味)について

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「アタマではわかってるんだけど、実感として良くわからないこと」ってあるじゃないですか。


例えば、「死ぬ」こと。ぼくらはみんなたぶんいつかは「死ぬ」んだけど、そのことが実感としてわかってる人って、たぶん少ない。

 

ひょっとしたら、死にそうな目にあったことがある人だったり、とても大切な人を看取った経験がある人は違うかもしれない。うーん。この例えが良かったのかどうか、わからんけど。


とにかく。アタマでの「理解」と、実感としての「理解」が不一致を起こすことは、よくある。だし、こういうときは、たいていしんどい。なぜならば、最近のぼくがそうだったから。


○お役割に意味の大小なんてない

ぼくは、人それぞれに「お役割」があると思って生きている人である。だから、ぼくにはぼくのお役割があるし、あなたにはあなたにしかできないお役割がある。

 

そして、そのお役割はぼくやあなたにしかできないわけで、堅苦しい表現をすれば余人をもって代えがたいわけだ。あなたのお役割を、ぼくが代わりにやりますよ、なんてことはできない。


そして、それぞれに渡されたお役割に、意味の大小や貴賤は一切ない。ぼくのお役割が、あなたよりも大きいなんてことはないし、その逆もまたあり得ない。

 

そう、このあたりから、ぼくの「実感としての理解」が「アタマでの理解」に追いつかなくなってくる。


舞台に例えるとわかりやすいかもしれない。舞台は、出演者がいないと成り立たない。舞台上で、誰かが何かを話したり、動いたり、あるいは「何もしない」をすることで成立する。


では、出演者だけで舞台が出来上がるのか?と言えば、そんなことはない。出演者が舞台に上がっている間、その演者にスポットライトを当てる照明さんも必要だし、演劇ならば脚本を書く人も、演出を考える人も必要だ。


もちろん、出演者が何役かこなせるかもしれないけれど、限界がある。舞台に立ちながら、自分にスポットライトを当てることはできない。


裏方で考えれば、もっとたくさんの人が関わる。公演を打つ芝居小屋を手配したり、集客をする人がいたり。おっと。忘れてはいけない。「観客」だって、大切なお役割だ。見てくれる人がいない舞台なんて、クリープを入れないコーヒーのようなものだ(ぼくはブラック派だけれども)。


そう。アタマではわかるけれど、いざ自分が当事者になると、そうはいかないこともある。


○エースや四番は大切。中継ぎや七番バッターも大切

ぼくはずっと、舞台で言えば出演者、サッカーで言えば点取り屋、野球で言えばエースや四番バッターに憧れ続けてきた。そして、そのポジションに自分が居ないことにバツをつけ続けてきた。


正確に言うと「ぼくはそのお役割じゃないし」とわかってはいるのだ。けれど、自分の持ち場や役割に自信や誇りを持つことができなかったのである。とても残念だ。そして、いまのぼくはそのことをとてもダサいと思う。


このことは、出演者からいくら「みんながいてくれるからこその舞台です」とお礼を言われても、感謝されても、満たされることはない。

 

なぜなら、自分で自分を満たすことができていないから。自分の役割を認め、自分の立場を120%誇りに思えるのは、自分しかいない。


そう、ぼくは言うなれば舞台で言えば照明であり、サッカーで言えばディフェンダーだし、野球で言えば中継ぎであり7番バッターなんである。

 

そのことをぼく自身が120%認め、誇りに思って携わったならば、ぼくは必ず輝く。その輝きは、出演者のそれとは違う。でも、尊い輝きである。


○「自分を認めるきっかけを提供する人」でありたい

改めて、ぼく自身がどういう人でありたいかと考えると、「裏方や目立たないお役割の人たちに自己承認のきっかけを提供できる人」だと思う。

 

あなたの存在が、この世のすべてを支えているんだよ、と氣付くきっかけになれたらいいなと思う。氣付いて、それを受け入れるのは本人の仕事だ。ただ、そのきっかけを提供する人は、たぶんいた方が良い。


あなたのお役割はあなたにしかできない貴重なもので、それは本当に尊く、みんなのためになっている。


このことを、当人以上に認め、信じ、理解している人が一人でもいることが、その人にとってどれだけ救いや、勇気になるだろうか。

 

このようにキーボードを叩いているだけで、実はぼくは泣きそうである。その役目を、ぼく以外に誰ができるだろうか、とすら思う。


長い間、生まれてきた意味を見出せず、何のために生き、何のために死ぬのかがわからなかったぼくだからこそ、そして、自分のお役割を全力で果たすんだと腑に落ちたいまのぼくだからこそ、あなたに伝えられることがあると思う。


あなたが生まれてきたことには絶対に意味があり、あなたが果たすべき役割が必ずある。それは、あなた自身がどれだけ小さく、つまらないと思ったとしても、この世に絶対に欠かせないものである。そのことにまず氣付いて、認めること。


一人では、自分の役割を認めることがどうしても難しいとするならば。


それこそ、ぼくがいるじゃないですか。

 

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