「なんで」禁止令

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一休さん』をご存じだろうか。室町時代臨済宗大徳寺派の僧で、後小松天皇落胤(隠し子)と言われており、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」といった言葉を残したことで知られる一休宗純のこと、なんだけどちょっと違う。


彼の幼少期をモデルにしたアニメ『一休さん』の方の話だ。一休さんはとんちボーイで、意地悪な商人の桔梗屋さんや、当時の将軍・足利義満らの無茶ぶりをとんちで切り返すというストーリーだった。

 

と、いま書いてみて思うけど、将軍相手にとんち勝負ってスゴイな。


その『一休さん』に「どちて坊や」というのがいた。何事も「どちて(どうして)」と質問するのがクセで、周りが大いに困惑する、というストーリーだった。


前置きが長いな。まあいい。現実世界にも、これに似た「なんで坊や」、「なんでお嬢」というのがいる。「なんで○○は××なんだろう?」、「どうして○○は△△なのかな?」と考え込んでしまう人。わかる。めっちゃわかる。なぜならば、ぼくもそういう傾向があるから。


でも、ぼくは敢えて「『なんで』禁止令」を提唱したい。


○世の中には「なんで」がないこともある

人々が「なんで?どうして?」と聞いたり、考えたくなるのは、一つには「理解したいから」だ。その欲求はわかるし、相手や自分を理解しよう、という姿勢は大変尊いし、優しいと思う。ただ、この世には「理解を超えた何か」があるということも覚えておいた方が良いと、ぼくは最近感じている。


例えば、自分の本当の望みや希望、理想を見るとき、「なんで」を考えても仕方がない、とぼくは思っている。だって、「今日のお昼はカレーだな」と思うとき、「なんでぼくはカレーが食べたいんだろう?」と考えたところで、あまり意味はない、とぼくは思う。


確かに、しばらく食べてないから、とか、何となく二日酔いで、スパイシーなものを食べて目を覚ましたいから、とか、それっぽい理由は挙げられる。でも、昨日もカレーを食べたのに今日もカレーを食べたい!というときには、もはや理屈や理由なんて意味はない。いま、カレーが食べたい。以上終了なのだ。そこに理由も理屈もへちまもない。


自分の本当の希望や理想なんて、そんなもんだ。恋愛だってそうだろう。「この人が好き!」と思うとき、たぶん理由はない。いや、あるかもしれないけれど、実際には後付けだったりする。もし、あなたが理由を積み重ねないと人を好きになれないとしたら、一度それを止めてみたらどう?と思う。


○「なんで」は直感を邪魔する

「なんで」、「どうして」は直感を邪魔する。「あの人に会いたい!」と思った。そのとき、「どうして、ぼくはあの人に会いたいんだろう?」と考え始めると、歩みが止まる。そこでもし答えが出たとしても、物事は先に進んでいない。


ならば、「あの人に会いたい!」と思った次の瞬間に、会える努力をすれば良いのである。会うためにできることを、真剣に考えれば良いのである。


ぼくの友人は、テレビで「この人に会いたい!」と思った人を見つけた。で、彼は何をしたかというと、Facebookで会いたい人を探し出し、(面識がないのに)直接メッセージを送ったという。

 

結果、彼はその会いたい人に会えたんだそうだ。ここで彼が立てた問いは「なんで?」」ではなくて「どうしたら?」だったということだ。


もう一度言おう。「なんで」は、あなたの直感を邪魔する。確かに「ああ、だからぼくはこう考えたのか」と理解できると、安心するし、落ち着きはする。ただ、物事は1ミリたりとも前に進んでいない。


ぼくが、生きとし生ける全ての人が調和しあって生きる世界を見たいのも、いつもごきげんでさわやかに、真剣に生きていきたいと思うのも、もっと地球や宇宙と調和して生きたいと思うのも、師匠筋から学びたいと思うのも、あの人に会いたいなと思うことも、あの人が好きだなあと思うことも、美味しいラーメンを食べたいと思うことも、はじまりは全てぼくの直観でしかない。


もちろん、理由を積み重ねて取り組むことだってある。「これがこうだから、こうしないと」ということも、あるだろう。ただ、それだけやっていて、本当にあなたの理想に近付けるだろうか。あなたの理想は、その延長線上に本当にあるだろうか。


だからこそ、「なんで」、「どうして」を一旦捨ててみよう。直感で降ってきた自分の希望や理想に従って生きてみよう。

 

その結果、うまく行けばいいし、うまく行かなければ、そこで初めて「どうして?」とひも解いてみるのも良いかもしれない。


もちろん、自分で「なんで」、「どうして」のブレーキを外せれば良いけれど、それが自分ではできないよー、という人もいると思う。

 

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