常に自分の理想を超え続ける(ぼくが出会った名言集)

 

「常に自分の理想を超え続ける」(師匠筋のN氏)

 

ぼくらが見ている世界は、ぼくらの意識が創りだしている、という話を以前書いた。このことについては、ぼくの認識は1ミリたりとも変わることはない。ただ、「じゃあ、何でも自分が思った通りになるってことだね!?」と言われると、うーん、という反応になってしまう。

 

 

ぼくらが見ている世界はぼくら自身の意識が創っている。だから、楽しい意識で世界を見れば楽しい世界になるし、苦しい、辛い意識で見れば、そうなる。

 

これはもう、間違いがない。はらたいらさんに3000点賭けてもいいくらい確実だ(もう、このネタも通用しなくなってくるよね)。

 

ただ、世界が自分の思った通り、そのままそっくり実現するとは限らないのが、この世界の面白いところだったりもする。これは、ぼくらの意識の限界なのかもしれない。

 

○当たり前のことを大発見のように言う

当たり前のことを大発見のように言うよ。

 

ぼくらは、自分が知らないことを

思い描くことは出来ない。

 

当たり前やないか、というツッコミが飛んでくるのを承知で、敢えてもう一度言う。

 

ぼくらは、自分が知らないことを

思い描くことは出来ない。

 

それがどれだけ、

自分にとっての究極の理想であっても、だ。

 

ぼくらが現時点で「こうなったら良いなあ」と思い描いているものは、あくまでもぼくらが持っている過去データを材料にして創り上げたものだ。だからこそ、リアルに思い浮かべることが出来る反面、ぼくらが想像できる範囲での理想でしかない。

 

一方、この世の中はぼくらが知らないことだってたくさんある。だから、実はぼくが知らないことこそが、ぼくが望んでいる理想のものだったりする可能性もある。

 

このことを、ぼくの師匠筋は「明太子茶漬け」で表現した。

 

ぼくは「明太子茶漬け」と言われて、パッと永谷園的なアレを思い浮かべた。うん。おいしいよね。しかし、師匠筋が話したのは、明太子が乗ったご飯の上からとんこつラーメンのスープをかけて、お茶漬け風にして食べるものだという。

 

完全に想像を超えてきた。そっちの方が断然おいしそうだ。

 

○『月と6ペンス』に見る、理想を超え続けるということ

つまり。ぼくらは、自分が知らないものは想像し得ない。だけれど、知らない=理想ではないという式は全く成り立たない。ぼくらは自分にとっての究極の理想を知らずに生きている可能性すらある。

 

もちろん、今の生活や環境にとても満足していて、これ以上何かを求めようと思わない、という人もいるだろう。それはそれで構わない。そういう生活を送り、そういう環境に身を置けることは、本当に幸せなことだと思う。

 

ただ、自分の心や内なる声に耳を傾けて行動をし始めると、かつて自分が抱いていた理想を超える超理想が見つかってしまうこともある。それはある意味、「何でも自分が思った通りになる」ということではない。

 

イギリスの作家、サマセット・モームの作品に『月と6ペンス』という小説がある。実在の画家、ポール・ゴーギャンをモデルにして書かれた作品だ。主人公のストリックランドは証券会社に勤め、妻もおり、安定した幸せな生活を送っていたのだが、「私は絵を描かなくてはならない」と全てを捨てて画家の道を志す。ごく簡単に言うと、こんなストーリーだ。

 

ストリックランド(あるいはゴーギャンもか)は、おそらく、過去自分が描いてきた理想を超える理想に出会ってしまったんだろう。だからこそ、安定した生活も、愛する妻も捨て、絵を描くという道に身を置いた。

 

それがステキなこと、素晴らしいことかどうかは、わからない。『月と6ペンス』のストリックランドは、見ようによっちゃただのクズ野郎である(読んでもらえればわかる)。ただ、自分の情熱に対して真摯だったとは言える。

 

もし、あなたが「現状満たされているし、幸せなんだけど、なんかモヤモヤする」と思っているとしたら、ひょっとしたら、ホントのホントの理想に氣付きつつあるのに、それに蓋をしているから、なのかもしれない。

 

もちろん、いまの幸せを見続け、育みつづけることも決して悪くない。ちなみに、安定した生活や家族を捨てたストリックランドがどうなったか。彼は最終的にタヒチにたどり着き、そこで妻を娶り、絵を描き続けて亡くなった。どちらの人生が幸せだったかは、本人にしか、いや本人にさえわからない。だから、どっちを選んだっていい。

 

ただ、本当の理想に氣付いたとしたら、おそらくその喜びは今までとは全く違う次元のものだろう、とは思う。何しろ、過去データにはないものだからね。

 

その理想に氣付くためには、自分の好きなもの、心の動くこと、「何か氣になる」方向へ向かうことだ。そういう楽しい!とか、わくわくする!とか、嬉しい!というポジティブな感情が、ぼくらを未知の領域へ誘う。そうしていくと、自然に自分がごきげんになってくる。すると、当然ごきげんなことが起こる、というわけだ。

 

ぼくの師匠筋が言う「常に自分の理想を超え続ける」というのは、たぶんこういうことなんだろうと、ぼくは解釈している。

 

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