知識や情報が不安を払拭することはない、ということについて

 

「たくさんのものを持っている」、特に「たくさんのことを知っている」ことが、必ずしも幸せだったり、成功だったりにつながるわけではないよねえ、と最近改めて思っている。

 

何か新しいことを始めるとき、多くの人は情報を集めるところからスタートする。

 

確かに、魚の知識が全くゼロの状態で寿司屋を始めてもうまく行かないだろう。最低限の知識は持っておいてくれよ、とは思う。

 

ただ、あまりにたくさんの「知っている」を持ちすぎていると、それがかえって邪魔になることもある。

 

昔、『冒冒グラフ』という番組(知らない人多いだろうな)で「知識は荷物になりません。あなたを守る懐刀」というキャッチフレーズがあったけれど、実は、知識も持ちすぎると「お荷物」になることがある。

 

○明日のことなど誰にもわからない

先のことは、今のところ誰にもわからない。ひょっとすると『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(何度見ても素晴らしいタイトルだ)のデロリアンだったり、『ドラえもん』のタイムマシンだったりが既にあるならば別だけど。

 

少なくともぼくには、未来がどうなるかは全く知らない。1時間後、1分後だって、何が起こるかわからない世界で生きている。

 

にもかかわらず、ぼくらは未来を見ては不安になる。仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。で、不安を払拭するために情報を集めたりする。成功するためにはどうしたら良いか。幸せになるためには、どうすれば良いのか。

 

もちろん、世の中の道理がどうなっていて、こうすればこうなる、という最低限のルールや仕組みは知っておくに越したことはない。また、ビジネスで成功したいと思ったら、先人の考えややり方を学んでみるのも手だ。

 

では、知識や情報を知れば知るほど、不安は払拭されるのだろうか。答えはたぶん「NO」だ。むしろ、知れば知るほど不安は増し、一歩を踏み出す勇氣が失せていく。

 

「たくさんのことを知りたい」という欲求の根源は「欠乏」にある。「情報がないと失敗するかもしれない、だからたくさん知りたい」と、「失敗するかも」が前提にある。実はこれ、底なし沼のようなもので、いくら情報を集めても、完全に不安がなくなることはない。

 

例えば、初めてスキーをしようというとき、どれだけ情報を集めてみても、「コケるかもしれない」という不安を完全に払拭することはできないし、仕入れた知識だけではゲレンデをスイスイ滑れるようには、まずならない。むしろ、ある程度情報を仕入れたら、コケる覚悟を決めて始めるしかない。

 

○知識が行動の邪魔をする

知識や情報があると、シミュレーションができる。だから、多くの場合「失敗したときのシミュレーション」をしてしまう。そうすると、二の足を踏む。知識や情報がないと、良くも悪くもシミュレーションが成り立たない。だから「とりあえずやってみよう!」になる。

 

このとき、必ずうまく行く保証はない。ただ、「ま、うまく行くだろう」という根拠のない自信はあるかもしれない。何しろ、先のことは誰にもわからないのだ。

 

未知のことを既知の情報で分析・解析しようとしても、限界があるのは火を見るより明らか。それならば、実際にトライしてみて、生データを集めた方がよほど建設的だ。

 

もちろん、知っていれば回避できる課題や問題は、事前に情報を仕入れておいて、対応すればいい。ただ、世の中には「やってみないとわからないゾーン」というのが確実にあると感じる。これは、もはや飛び込んでみないとわからない。

 

何かあなたが新しいことにチャレンジしたいけれど、どうしても不安を感じるというときは、情報を集めるよりも、思い切って飛び込んでみた方が、何かを得られるタイミングなのかもしれない。

 

もちろん、どっちも選べる。「何とかなるでしょ」で飛び込んでみるもよし、「やっぱり不安だから嫌だ」でブレーキをかけるもよし。どっちだって良い。

 

ぼくの敬愛するKANさん(かつて『愛は勝つ』で大ブレイクしたKANさんだ)は、名曲『TOKYO MAN』でこんな歌詞を書いている。

 

「明日のことなど誰にもわからない/その日その日を生きていくしかない」

「明日のことなど誰にもわからない/信じていればできないことはない」

 

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