平壌で国際マラソンに参加して感じたこと
5日間ほど、海外に行ってきた。具体的に言うと、成田から中国の瀋陽に入って、そこから朝鮮民主主義人民共和国の平壌に入って2泊。次に、ほぼ丸一日国際電車に乗って平壌から北京に移動して、空路で羽田に帰ってきた。
「平壌に行ってきたって、お前はアントニオ猪木か」と思われるかもしれないけども、実際行ってきたんだからしょうがない。
※かの国の人たちは「北朝鮮」という呼称を使わず、自国のことを「朝鮮」か「共和国」と呼ぶ。ぼくもそれに従って「共和国」と表記する。本人たちが嫌がっている呼称をわざわざ使うこともあるまい、というぼくなりの配慮だ。
平壌で見聞きしたこと(国際マラソン大会に参加してきた)は、大変面白かった。ただ、どこまでブログに書いていいものやら悩むところもあるので、興味のある人は聞きに来てほしい。直近ではお話会を4月17日と18日の夜に予定しているので、ぜひ(宣伝)。
ここでは、行ってみて感じたことを少しだけ書いてみる。
この記事を読んで、読者の皆さんが何を感じるかはわからないけれど、誓って言えるのは、ここに書くのはぼくが感じた感想だけ。そこに政治的な意図やプロパガンダは一切ないことだけは、信じてもらいたい。
○一番の違和感は「違和感のなさ」
「『北朝鮮』って行って良いの?」という質問をされることがたまにある。よくよく考えると、これも不思議な質問で、日本政府は「渡航自粛」を促しているわけで、別に行っちゃいけないとは言ってない。これが例えば「渡航禁止」であったなら、ぼくも無理して行こうとは思わない。
事実、日本の旅行会社を通じてフツーに手配もできるし、ビザも用意してもらえる。むろん、そういうツアーを手掛けている旅行会社を探す必要はあるけれど(たぶん、いわゆる大手の旅行代理店はやってない)。
行ってみてぼくが一番感じたのは「違和感のなさ」だった。
なんかもっとこう、緊迫ムードだとか、外国人(特に日本人)は珍しい目で見られるとか、そういうことがあるんじゃないか、と思ってたのだ。で、実際に行ってみると、全く以てそんな印象はなかった。
実際、瀋陽から平壌に入る飛行機の機内は、実にいろいろな人種の人が乗り込んでいた。中国をはじめとするアジア系はもちろん、ヨーロッパなどから来たであろうアングロサクソン系の人もたくさんいた。
アメリカ人がいたかどうかは定かではないけれど(さすがにいないか)、そこには「外部との関係が断絶している」という印象は全くなかった。まあ、世界中を見回してみると、共和国と国交がない国の方が少ないわけで、当たり前っちゃあ当たり前かもしれないけれど。
入国審査はぼくが訪れた他の国に比べると厳しめ(本や携帯電話などもチェックされる)だけれど、ぼくが持って行った本はさらっとチェックした後、すぐに返してくれた。
○意外とカワイイ街並み、平壌
日本(特に東京かな)との違いを強いて挙げれば、まず空が広い。高い建物はあるのだけれど、東京ほど密集して立っていない。そして、車道がまっすぐ、かつ車線が多い。だから、マラソンで走っていると、真っすぐな道をどんどん先に先に進む感じになる(もちろん、途中カーブもあったけども)。
意外だったのは、建物が意外に色々な形だったこと。灰色っぽい建物がズラッと並んでいる印象を勝手に持っていたのだけれど、ポップでカワイイ(と、女子高生なら言いそうな)建物もたくさんあった。
ただ、派手さはない。東京の街並みのように、そこここに大きな看板やポスターが張り巡らされたり、目立つ看板がでかでかと掲げられていることはない。まあ、共産主義国家だから広告という発想がないのかもしれない(じゃあ中国はどうなんだという問いについて、ぼくは答えを持ってない)。
○笑顔で手を振るから、笑顔で手を振りかえしてくれる
そして、ぼくが平壌に行ってみた限り、そしてぼくが会った人たちや接した人たちを見る限りでは、とてもじゃないけれど「悪の枢軸」という感じはしなかった。
マラソンで走っていると、沿道で走るぼくら(友人と二人で参加した)を眺めたり、どこかへ移動している人たちがたくさんいた。ぼくらが彼・彼女らに手を振ると、たいていの人は笑顔で手を振りかえしてくれた。中には、「急げ急げ、がんばれ」(意訳)とデカい声で励ましてくれるおじさんもいた。
子どもたちはぼくたちに「ハロー」と声をかけ、ぼくらは「カムサハムニダ」と返す。そんなやり取り。そこにあるのは、実は平和そのものだったのだ。驚くべきことに。
もちろん、過去にかの国の人たち(特に秘密工作部隊とか、たぶんそういう人たち)がしたこと、日本人の拉致や監禁などは許されるべきことではないと思う。秘密裏に核兵器やらミサイルやらを作るのだって、その射程圏内に入っている日本国民であるぼくとしては、当然許せない。
ただ、忘れないでいただきたいのは、その国に住んでる人が全員悪人で、憎むべき人たちではないということ。「話し合いで何でも解決できる!」と言うつもりはない。場合によっては、武力解決が必要な状況に陥ることもあるかもしれない。
ただ、話し合いの余地があるのなら、その方策を捨てる手はないんじゃないか?と思う。
ぼくらが笑顔で手を振るから、かの国の人たちも、笑顔で手を振りかえしてくれる。
ぼくには国際政治や外交の難しいことは良くわからない。ただ、物事の道理は、そんなシンプルなことなんじゃないのかな、と思ったりはする。少なくとも、ぼくはそう信じている。
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