自力と他力とエトセトラについて
昔から「まあ、そうなんだろうな」と思っていたんだけれども、最近になっていよいよ強く思い始めているのが「結局、みんな言ってることは同じ」ということだ。
例えば。「自分の好きなこと、楽しいこと、氣分が上がることだけしなさい。そうしたら、うまく行く」という話を聞いたことがあると思う。
ハードルとして、まず、これができない人もいる。「楽しいことだけやってたって、うまく行くわけないじゃん」という人。ま、こういう人はもう仕方がない。自分の好きじゃないこと、やりたくないことを一生懸命やって生きていくことを選んだわけで、それも良いよねと思う。
次に「好きなことをしてるのに、成功しない!」という人がいる。うん。そういうこともある。これはいくつかケースがあって、パッとぼくが出せるところで言うと、こんなところ。
1)ホントはそんなに好きじゃないけど、「うまく行きそうな中では一番好きそう」なものを選んでる
2)好きなんだけど、うまく行ってる人のやり方を参考に出来てない
3)そもそも成功しようと思ってない(成功しちゃうと困る何かが、無意識的にある)
むろん、これだけじゃない。ほかにもいろいろあると思うけど。
だから、「好きなことだけしてれば成功する!」というのは真理なんだけど、誤解を招く表現ではある。
○「幸せ」と「苦」の関係性について
こないだ、ビジネスプロデューサーの斎東亮完(さいとうりょうかん)さんのお話を聞いてきた。正確に言うと、ぼくの師匠筋が亮完さんとコラボトークライブをやったので、行ってきた。そこで亮完さんは、こんなことを言っていた。
「人間の幸せには、実はかなりの確率で『苦』が伴うんですよ」。
それを聞いて、ぼくはうーむと唸ってしまった。
例えば。学園祭の準備で毎日0時まで学校で作業をして、当日を迎えて大成功したとき、喜びもひとしおではなかったか。もし、これをチャラっとやって、チャラっと済ませたとしたら、それなりの喜びしか得られなかったんじゃないかな。
多くの人は苦しいこと、辛いことは避けるべきもの、なくしたいものと考える。でも、苦あれば楽ありじゃないけれど、実は苦しい、辛いも喜びの原動力だったりするんじゃないかと思う。
ぼくの敬愛するアースジプシー(←この人がどんな人たちかは、ググれ)師匠は、このことを『「好きなことをして生きなさい」は“おこた”で“みかん”ではない…?』と表現をしている。
○「好きなことだけする」は「嫌なことを絶対やらない」とは、ちょっと違う
実は、自分が本当に好きなもの・ことを選び、魂が震えるような喜びに生きようとすると、実は障害が登場する。これはもう、自然の摂理みたいなもんだ。仕方がない。むしろおめでとうと言いたいくらいである。
なのに、「あ、嫌なこと、やりたくないことが出てきたから、こっちじゃないんだプー」てな具合に、嫌なことや障害を乗り越えることを諦めてしまうと、その旅はだいたいの場合、そこで終わる。
一方で「頑張らない方が成功する、うまく行く」というフレーズもよく聞く。これもまた、受け取り方が難しい言葉である。
実は、成功している人は傍から見るとオニのように頑張っていたりする。ところが本人にはその認識がない。なぜか。答えはシンプル。「自分が好きでやっているから」だ。基本頑張りたくない人が、好きなことならば「マジで?」と周りが引くほどの頑張りを見せたりする。
この文脈で出てくる「好きなこと」とは、「EXILEが好きー」とか「AKBが好きー」とか、そういうレベルの「好き」ではない。これができるなら、ちょっとくらい嫌なことや大変なことも、必死のパッチでやれてしまう、そういうレベルの「好き」だ。
そんなもの、あるだろうか?と思うあなたにも、必ずそれはある。ただ、探しに行っていないか、氣付いているのに可能性にフタをしているだけだ。
そして、人が何かに打ち込んでいる。しかも楽しそうに、自分のありったけの力を込めて取り組んでいる。そんな姿を見たとき、周りはどう思うだろう。「コイツを何とか成功させたい」、「この人と一緒に仕事をしたい」と思うだろう。そういう有意識・無意識の集まりが「他力」となって、その人を次のステージに押し上げていく。
「頑張らなくてもうまく行くんでしょ」と、自分にできる努力もせず、寝転がって鼻をほじって他力が発動するのを待っている人に、他力が発動するか。いや、するまい(反語表現)。
○自力を動かすから、他力が働く
「好きなことをすれば成功する」、「他力が働けばうまく行く」という言葉の裏側には、実はこんな流れがあるんじゃないかと思っている。この背景がわからないまま文字面だけを捕まえると、おかしなことになる。
みんなこういう一連の流れを知ってか知らずか、それぞれの角度からそれぞれの表現でメッセージを発信するから、受け取る人が混乱したり、誤解したりするんじゃないか、とぼくは思っている。
もちろん、ぼくのこの解釈も間違っているかもしれない(そもそも、亮完さんの話だって、ぼくのフィルターを通っている以上100%亮完さんが言っているのと同じではない)。ぼくはそう思っている。
唐の高僧、暢珊(たいそう立派な福耳だったと言い伝えられている)は「逆境こそ、真の喜びに至る一里塚なり」と言い残したと言われている(嘘)。
もちろん、いきなり他力ゾーンに突入する人もいるらしいのだが、基本的にはまず自力で立てるところまで行って、そこから他力が働き出すというのが自然の摂理っぽい。
故に。逆境を恐れるな。オレよ(笑)。
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