自分の好き・嫌いがわかるのは誰か?
自分のことは、自分が一番わからない。
前回、ぼくは上記のように断言した。でも、実は「自分のことは、自分にしかわからない」とも言える。
オイオイオイ、昨日と言ってることが真逆じゃないか、と思うかもしれない。うん。真逆である。でも、これもまた真理なので、仕方がない。
まあまあ、そんなに顔を真っ赤にして怒るもんじゃない。今からおいおい説明する。
〇自分の好き・嫌いをわかる人間がいるか
自分がどういう性格や在り方なのかは、自分ではよくわからない。このことに関しては、全く主張を取り下げるつもりはない。
一方で、「自分が何が好きで、何が嫌いで、どのように生きていきたいのか」については、自分以外にわかる人はこの世の中に誰一人としていない。これもまた、絶対と言っていい。
自分の性格や在り方は、態度や行動に自ずと現れる。だから、他人さまの方がかえってよくわかる。前回も書いたけれど、自分で自分のことを見ようとしても、死角が多すぎて全体像を把握するのは難しい。例えば、あなたは自分の背中を自分の肉眼で、鏡に映さず見られるだろうか。たぶん、ほとんどの人が無理なはずだ。
一方で、自分の好き・嫌いは目に見えるものではない。自分がどう感じるか、だけの世界だ。人にとっては大好きで心地良いモノや空間であっても、他の人にとっては我慢ならないってことだって、多々ある。
ね。自分が何を好み、何を嫌い、どんな志を立て、いかに生き、いかに死ぬか。それは、自分にしか決められない。なぜか。それは、自分のココロの中にしか答えがないからだ。
〇好き・嫌いを手放して生きるのか?
なのに、ぼくらは時折、自分の好き・嫌いを手放して人の評価に委ねてしまうことがある。「こちらのお色が人気ですよ」てなことを言われると、自分が好きか嫌いかではなく、スッとそれを選んでしまうこともある。
「男=黒・青、女=赤・ピンク」なんてのも、実は固定観念だ。男だけどピンクが好きで、ピンク色のズボンを履きこなす人がいたっていい。そんな人をこそぼくはカッコイイと思う。
生き方だって、そうじゃないか。
あなたがいまやっているその仕事や遊び、本当にあなたの喜びですか。心の底から喜びを感じて生きていますか。毎朝目覚めるとき、今日も生きられる、やったねラッキーと心の底から言えますか。
自分が好きなこと、やりたいこと、生きたい生き方を、本当に100%選んでいると、自信をもって言えるだろうか。
うん。これは、ぼく自身にも問うているし、全てにイエスとは言えない。けれど、そういう問いを常に自分に対して立てられるか。そのことが、ぼくは重要じゃないかと思う。
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