大切なものを本当に大切にするために


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大切なもの、大切な人を、本当に大切にする。

 

文字面だけ見たら、当たり前やんけ、と思う。そりゃそうだ。

 

でもぼくはここ最近、「どう大切にするか」という問いを色々な角度から突き付けられているような氣がしている。

 

○大切にするって、なに?

「大切にする」って、具体的なようでいて、実は抽象度高めの言葉だなとも感じる。こんなときは、コトバンク先生で言葉の定義を確認しておこう。

 

たい‐せつ【大切】
[形動][文][ナリ]
1 もっとも必要であり、重んじられるさま。重要であるさま。
2 丁寧に扱って、大事にするさま。
3 急を要するさま。
デジタル大辞泉

 

重んじるとか、丁寧に扱う、大事にするってのは、人それぞれにやり方が違う。子どもを育てるとき、ある種過保護に、面倒を見まくって育てることを「大切にする」という人もいれば、その子の自主性や感覚・感性をこそ尊重して「大切にする」という人もいる。

 

「大切にする」という言語は、それが指す言動や表現の幅が広いし、どうとでも受け取れるから、「大切」の認識のずれが生じる確率は高いかもしれない。

 

〇何をどう大切にするのか

一見、大切にしていないように見えて、それが結果的に大切にしていることになる、ということがある。

 

ぼくの師匠筋のN氏は、「全宇宙を大切にしたら、全部入って来るやん」と事も無げに言ってのけた。それを聞いて、ぼくはのけぞったのだけれど、まあ真理だなとも思う。

 

かつてのぼくはついつい、大切なものを目に見える形で「大切にしにかかる」癖があった。これも癖だ。相手に合わせて、相手を尊重する。

 

それももちろん、何かを大切にする形の一つではあるけれど、実は大切なものに執着していた表れだったのだと思う。

 

大切なものを失いたくない、手放したくないからこそ、そこにエネルギーを注ぐ。もちろん、それはそれで良いけれど、端から見ると違和感はあるのかもしれない。

 

そうではなくて、より大きなもの、より広範囲に大切なものを守りにかかる、大切にしにかかる。いまは、そんなことを意識している。

 

○より広い範囲を大切にするからこそ

さすがに、いまのぼくはまだ、全宇宙を大切にしかかる意識までは持てていない。せいぜい、目に見える範囲を大切にしたいなと思う。

 

それもこれも、仲間からの指摘を受けて氣が付いたこと。本当にありがたい。

 

そういう仲間や、家族や、恩人や、ご縁をいただいた方々や、ご先祖さまや、その先にいるみんなみんなを大切にしようと真剣に思えたときにこそ、目の前にいる大切な人・ものを真に大切にできるんだろうと、今は思う。

 

そう。だから、いまのぼくはこのブログを読んでくれているあなたを本当に大切に想っています。

 

いつもありがとう。

 

 

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