自分の感情と付き合ってみる
自分はなぜ、その感情を抱いたのかについて、きちんと見てみることが必要なのかもしれないね、と、昨日親友と話していて感じた(というより、親友が教えてくれた)ので、書いてみる。
自分あての備忘録的なところもあるけれど、皆さんにも何かヒントになれば嬉しい。
このあたりは、実はNVC(Non Violence Communication)でも言ってることだったりするので、参考にリンクを貼っておく。
http://nvc-japan.net/material/feelings_needs_list/
より正確に言うと、以下の2つに分けられるかもしれない。
・自分が今、どんな感情でいるのか(どんな気分なのか)
・その感情は、なぜ沸き起こってきたのか
なんかこう、嬉しくない、モヤモヤする、嫌な氣持ちだなと思った時に、それが「怒り」なのか「悲しみ」なのか、はたまた「苛立ち」なのか「焦り」なのか、自分でもわからないことがある(少なくとも、僕はある)。
■感情を可視化してみる
「嫌だなあ」、「なんかモヤモヤするなあ」というのはわかるけれど、それがどういう感情かを敢えて(敢えて、だ)言語化してみるというのは、僕はとてもいいプロセスだと思う。
なぜなら、言葉にしてみると、自分の感情が扱いやすくなる。「あ、これは悲しみと淋しさがブレンドされているんだね」とか、「む、これは怒りと見せかけた嫉妬っぽいね」とか。
自分が何を感じているのか、理解してあげよう、ということだ。これも以前ブログに書いた「現在地を把握すること」に近いかもしれない。
いつも出来なくていい。出来るとき、やりたいときにやればいい。完璧を目指そうとすると、だいたいおかしなことになる。氣が向いたら、自分に余裕があるときに、思い出したから、くらいがちょうど良い。
■自分の感情の源泉を見に行こう
自分の感情がある程度把握できてきたら、次に「どうしてそうなった?」を分析してみる。
例えば、友だち4人で出掛けようというとき、ある人が遅れてきたり、好き勝手な行動をとっているのを見てイライラしたとする。
最初、それは「みんなの時間を無駄にしてる!」という憤りだと思っていたけれど、よくよく見てみると、実はそれは自分の思ったとおりにならないことが不満だった、みたいなことはある。もちろん、両方含まれていることもあるとは思うけれど。
嬉しいとき、楽しいときも、自分の感情を見に行ってみると良い。「自分はなぜ、嬉しいと思っているのか、楽しいと感じるのか」を見てみると、自分の喜びの源泉に氣が付いたりする。
実際には、理由なんてないこともある。なんだかわからないけれど嬉しい、楽しい、ってなこともある。だけど、自分がどういうことに心が動く生命体なのかを理解するきっかけにはなるんじゃないかな、と思う。
そのあとには、その感情や状況を「どうしたいか?」と、見てみると、より良いかもしれない。その感情のままでいたいか、いたくないか。いたくないなら、何を変えようか。
その感情をもっと味わいたい、もっとその機会を増やしたいと思うなら、そのための行動を意識すればいい。
■感情を伝えてみる
こういう自分の感情を人に伝えられるようになると、よりコミュニケーションが変わると思う。
自分はいま、こういう理由でこういう感情を持っている、ということを、きちんと相手に伝える。これは、けっこう高度なコミュニケーションだ。
人は大抵、自分がなぜ苛立っているのか、なぜ悲しいのかを分析しない。そして、それを人に伝えることもしない。だから、多くの場合はその人が何を考え、感じているのかは周りが察するしかなくなる。
それを「〇〇で苛立っている」、「〇〇で悲しい」、あるいは「〇〇で嬉しい」みたいなことを、他人に伝える努力をしているだろうか。100%他人に理解してもらえるかどうかはわからない。でも、発することで何かは伝わるはずだ。
「ありがとう」もそうだ。もちろん、存在してくれるだけでありがとう、なんだけど、それならそれで、そう伝えてあげてほしい。特に、あなたの大切な人には。
加えて、どうしてありがとう、うれしいと思ったのかを、感じに行ってみると良いと思う。
ぼくらの身の回りには、奇跡が満ちあふれている。この世に生まれて、今まで生きてこられていること。これ自体もう奇跡で、ありがたいことだものね。
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