締切のある今を生きる僕とあなたのために

 
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その人が亡くなった後に、その人のファンになる。そういうことが、僕にはちょくちょくある。例えば、ジョン・レノン。まあ、彼が亡くなったときに僕はまだ4歳だったわけで、これはまあ、仕方がない。

 

でも、せっかく同時代を生きていたにもかかわらず、死後にその人のことを知ったときのショックというか、落胆はけっこうキツいものがある。僕はそれを、今のところ二度経験している。一度は忌野清志郎。もう一度は、作家の小林正観さんだ。

 

忌野清志郎は、生きているうちから存在は知っていた。「い・け・な・いルージュマジック」なんかで、教授(坂本龍一)とテレビに出てたのを見た記憶がある。で、僕は「男のくせに派手なカッコをして、化粧なんかして、気色悪いヤツだ」という、非常にステレオタイプ的、かつ幼稚な反応を示した。

 

その反応は大人になっても割と続き、RCサクセション忌野清志郎は食わず嫌いを続けていた。でも、自分がバンドをやることになり、『雨上がりの夜空に』をカバーすることになり、ドはまりした。そして、その頃にはすでに彼はこの世を去った後だったはずだ。

 

おかげで僕は、彼のライブを生で観ることは(今世では)叶わなかった。天国で、マイクを振り回しながら「愛し合ってるかい?」と尋ねるキヨシローに会えるかどうかは、今のところ分からない。

 

今にしてみれば、一度で良いから、キヨシローが歌う姿、歌う声を生で体感したかったな、と思う。

 

小林正観さんについては、知らない人も多いかもしれない。

小林正観さんは、ごくごく最近知った人だ。

 

『釈迦の教えは「感謝」だった』という本をたまたま見つけ、本のタイトルに惹かれて読んだ。その内容がとてもグッと来たので、他の本も読んでみようと思っていた矢先、たまたま読んだひすいこたろうさんの本にも小林正観さんの言葉が載っていた。と同時に、彼が2011年に旅立たれていたことを知った。

 

2011年当時、僕は小林正観さんを知らなかったわけで、どう逆立ちしても彼の講演を聞きに行くことはできなかった。でも、ついこの間まで、この世を一緒に生きていた人に会えなかった、すれ違ってしまったという想いがある。

 

もちろん、僕が小林正観さんの本に触れるタイミングとしては今がカンペキなんだろう、と思っている。でも、そうは言っても、一度で良いから小林正観さんのお話を実際に聞いてみたかったな、と悔やむ気持ちがある。

 

■会いたい人に、会えるときに会っておくこと

実は、これは著名人に限ったことではない。むしろ、著名ならばまだましだ。だってCDをかければ、キヨシローは今でもゴキゲンなロックを奏でてくれるし、本を開けば正観さんは、自身の考えを説いてくれる。

 

昨年、親戚が二人亡くなった。二人とも、亡くなるような年齢ではない。でも、病気でこの世を一足先に出ていくことになった。

 

二人とも東京にも住んでいたので、会いに行こうと思えばいつだって会いに行けた。会いたいと言えば、きっと時間を作ってくれたと思う。会いに行かなかったのは、僕だ。

 

過去を振り返って、後悔するつもりはない。ああしておけば、こうしておけばと思うことはしない。でも、僕はこの四人から、何を学ぶのだろう?と考える。

 

それは「生きているうちに、やりたいと思うことはやっておけ」ということだと思う。それは、自分が生きているうち、はもちろんだけど、相手が生きているうち、も含まれる。

 

例えば、両親に感謝の氣持ちを伝える。ちょっとした親孝行をする。別に親はそんなことを求めていないかもしれないけれど、それは僕がやりたいことだ。

 

例えば、自分が好きな人に好きだよ、と伝える。それは、別に恋人同士だけじゃないと思う。自分が好きな人、大切な人、尊敬している人に、自分の想いを伝える。何かリアクションがほしいわけじゃない。自分の素直な氣持ちを伝えたい。

 

例えば、大切な友だちと一緒に時間を過ごす。他愛のない話をしたり、めしを食ったり、歌ったり踊ったり。なんだっていい。大切なのは何をするかではなくて、誰と一緒にいるかだろう。一緒にいたい人と一緒にいる。それが大切だ。

 

そう。これらは全て、実は締切がある。自分の、あるいは相手の命が尽きるまで、というタイムリミットだ。

 

■今動こう。締切が来る前に

そう。残念ながらと言うべきか、幸いなことにと言うべきか、僕らの命には限りがある。だからこそ僕らは、生きているうちにこの命を輝かせ、自分が奏でたい本当の音=本音を生きたいと望むはずだ。

 

さて。あなたが今からやろうとしていることは、本当に限られた命を使ってやりたいことだろうか?

 

こんな問いを、常に自分に立てて生きてみる。それが常にYESなら、こんなに幸せなことはないだろう。

 

もしNOだとしても、それはそれで構わない。ただ、ああ、自分は今、限られた命を使って、本当にやりたいことをしているわけではないのだなと氣付く、知ることがより大切だと思う。その後、どうするか、どうしたいかは自由だ。

 

氣付かないと、何も始まらない。逆に言えば、氣付けば、選べる。もし、それが理想でないならば、変えることができる。そんなことを、僕は考えている。

 

最後に、小林正観さんのことばを。

「今日寝て起きたら明日」ではありません。「今日寝て起きたら、起きたときは今日」なのです。

明日という日は永遠に来ません。常に今日、今、目の前に存在している人を大事にし、やるべき事をひたすら大事にやっていく。

「100%幸せな1%の人々」より

 

読んでくれてありがとうございます。じゃまた。

 

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