自分の好意が受け取ってもらえなかったときの対処法とか
自分が相手のために、良かれと思ってとった行動が相手から認めてもらえなかったり、受入れられないとき、人はやっぱりへこむし、イラッときたりする。当たり前かもしれないけれど、そのことに氣が付いた。これはホントにもったいないというか、シンドイなあと思う。
その根底には間違いなく相手への愛や思いやりがあるのに、それが伝わらない。これは滞る。
僕も経験がある。僕の場合は、こういうとき、どうやら不機嫌になるらしい。すると、負のスパイラルに陥る。こっちが不機嫌→相手も嫌な感じ→こっちも嫌な感じ→以下同文。言ってみれば負の循環だ。
アイデア1:先回りしてみる
さて。このイライラサイクルは面白くないなあ、と思っていて、どうしたらうまく回るかを考えた。結果出てきたのは「お手伝いをさせてくれてありがとう」と、こちらが先に思うことだった。
つい(僕は特に)、「○○してあげたのに!」と考えてしまう。で、受け入れられなかったり、否定されたりで腹が立つ。
相手ベース、相手の評価基準で考えると、それがもらえないと腹が立つので、もはや「お手伝いさせてもらっている」という意識でいようと心掛けている。
この人がいなければ、この作業や想いも発生しないわけで、何かしてあげよう!みたいな優しい氣持ちも生まれなかった。そう考えると、ありがたいねえ、と。
もう一つの可能性
もう一つは、先に相手の好意を受け止める。ひょっとすると、実はこちらも相手の好意を受け取れていなかったり、「そんなんいらん」としていたかもしれない。
いや、相手からの好意がホントに要らんこともある。そりゃわかる。
例えて言うなら、飲み方の分からん高い酒とか、掛けるところがないのに掛け軸とか、そういうものをもらった感じ。ぶっちゃけ要らないし、もらっても困る。
だけど、それを「いや、要らんし」と突っぱねてしまうと、相手は(いつかのこちらと同じように)傷つくし、腹も立つ。
じゃあ、要らないものでもバンバンもらったほうが良いのかというと、そういうことではない。それしていると、家中が要らないガラクタだらけになる。
ただ、覚えておきたいのは、それやこれは自分にとってはガラクタなだけで、相手にとっては宝だったりする、ということである。
アイデア2:受け入れず、受け止める
だから、「受け止める」。僕は、親友から聞いたこのフレーズがお氣に入りで、頻発する。
「受け入れる必要はない。受け止めるんだ」。
言い換えると、相手の好意だけは受け取る。こちらのために言ったり、やってくれたことは、ありがとう。でも、それをやるかどうか、自分の中に入れるかどうかは、別の話だ。
これは、繊細な作業が要求される。相手の好意だけは受け止めつつ、ある意味、相手の話は聞かないわけで、簡単ではない。でも、やろうとしている。
なるほど。これは、この人なりの好意なのだな、と受け止める。でも、受け入れることまではしなくて良い。
そしてまた旅の途中
こう考えると、少しは循環するんじゃないか、と思っている。んで、実践してみようとも思っている。道半ばだ。
どうやら、僕の中でこの辺りがキーらしく、このところイライラしたり、うまく行かないなと思うことが起こる。そのときに、ちょっとこの考え方に立ち戻ってみる。
それでもまあ、やっぱり納得いかないことはあるけれど、ともかく実験だよね、とも思っている。
ラブ&ピース。じゃまた。