「メンタルが落ちた」ときの僕の対処方法とかについて

 

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メンタルが落ちる、とは。

誰も悪くないし、誰も自分に対して悪意を持っているわけでもないし、誰も何も言ってないし、やってないのだけれど、自分ひとりで勝手にメンタルが落ちる、ということがある。

 

「メンタルが落ちる」という表現があいまいなのはわかっていて、どういう状態なのかをちゃんと説明したいなと思い、ぴったりくる言葉を探している。

 

「テンションが下がる」というのとは、近いけれど少し違う。

「落ち込む」も近いんだけど、やっぱりちょっとニュアンスが異なる。

「気が滅入る」、「ふさぎ込む」もやや近い。

「元氣がない」、「やる氣が出ない」、「モチベーションが上がらない」も含まれる感じ。

 

とまあ、そういう感じの、とにかくあまり明るい感じではないネガティブな心理状態のことを、僕は「メンタルが落ちる」と表現している。一般的な表現ではないだろうと思うので、敢えてグダグダと述べさせていただいた。

 

「メンタルが落ちる」ときのきっかけ

このところ(ここ1~2年くらいか)、僕はメンタルが落ちることなく過ごしてきた。割と仕事は忙しくもなく、ちょうどいいくらいに充実していたし、プライベートも楽しく過ごしていた。

 

今年4月に離婚することになり、元奥さんとは「家族 兼 同志 兼 ルームメイト」のような関係になった。そのこと自体は決して悪いことではないし、僕としてはとても良かったと思っている。だから、離婚した後も別に影響があるわけでもなかった(と思う)。

 

ところがどっこい土井善晴(←流行らせにかかってる)、最近、突如としてメンタルが落ちた。理由は大体把握しているし、きっかけも何となくわかっている。そのことについては、あまりにも個人的であり、かつあまりにも情けないことなので、ココでは伏せさせていただきたい。ただ、全くもって深刻ではないし、全くもって大変なことでもない。

 

むしろ「お前はそんなことでメンタル落ちるんか」と、自分でも思ったくらいにどーでもいいことだ。

 

ただ、今回で氣が付いたのは、理由は1つではなく複合的なもので、色々な要因が積み重なったり、心理的な影響だけではなくて身体的なものも大きく左右するんだなということがわかった。

 

今回で言うと、「なんか疲れている」と感じ始めたのが最初のきっかけだった。ふむ。疲れているということは「頑張っちゃってる」ということかもしれない、と僕が敬愛する人からのコメントもあり、なるほどそうかもね、と思っていたら、急速にメンタルが落ちていったわけだ。

 

メンタルやられる時の「3つの傾向」

多くの人がそうかどうかはわからないけれど、僕のメンタルが落ちるときには大きく3つくらいの傾向があることに氣が付いた。

 

1つ目に「頑張っちゃっている」とき。これはもう、結構てきめんに来る。本人的には、頑張ってる意識は全くないのだけれど、どこかで「頑張り」が顔を出していることがある。頑張ると、たいてい体力的にしんどくなってくる。

 

体力的にしんどくなってくると、次にちょっとしたことでメンタルが落ちる。氣をつけたいのは、ここで対策を誤ると、らせん状にメンタルが落ち続けることがある点である。まあ、氣をつけたいのは僕なんだけれども。

 

2つ目に、「人のお役に立っていないなと感じるとき」。頑張っちゃっていても、まだ誰かの役に立っている、という実感が得られれば、メンタルが落ちなくて済む。ところが、この「人のお役に立っているのか?」という疑問が生じてしまうと、結構キツイ。「何の価値もない自分」というところに行ってしまう。別に価値なんてなくても良いし、裏を返せば、存在するだけで価値のある人間だというのに。

 

3つ目が、これは2つ目とも近いのだけれど、仲間との連帯感や繋がり感が感じられない時。本来、繋がっていないなんてことはなくて、仲間とは何らかの形で繋がっているはずなんだけれど、それを(自分自身で)感じる力が薄れるときがある。

 

この3つが揃うと、まさに三役揃い踏みみたいなもん、あるいはロイヤルストレートフラッシュのようなもんで、僕のメンタルはがっくり落ちる。というか、久々に落ちた。ちなみに、今回のメンタル落ちも見事にこの3つに当てはまっている。今なら笑える。

 

まあ、落ちたなー、と思ったところで、「あ、これ、ブログのネタにしたろ」と考えている分、小ズルくなったというか、悪知恵が働くようになったというか、なんだけども。

 

メンタルが落ちた時の対処法とかとか(自己流)

僕の場合、最初はメンタルが落ちても実はあまり氣が付かない。やる氣が減退したり、なんかダルいとか、かったるいとか、そういう感情が湧いたりする。ああ、疲れてるからね、と早めに寝てみたりするのだが、それが功を奏することは極めて少ない。

 

でまあ、ある時に「おや、僕はメンタルが落ちているようだ」と氣が付く。実は、この「氣付く」こと、そしてそれを自分で認めることが、解決の第一歩だったりする。

 

メンタルが落ちているときに「そんなことない!僕は元氣!」とやってみたり、「明るく楽しくハッピーハッピー!!!」なんてなことを考える必要はない。あくまでも個人的な実感だけれど、むしろ、やめた方が良い。

 

それをやってると、それこそ「頑張っちゃってる」状態に拍車がかかり、さらにドツボにはまったりする。メンタルコロコロメンタコロ、ドツボにはまってさあ大変、である。

 

あくまでも僕の場合だが、メンタルが落ちたときは、「なるほど」と、自分を受け止める必要がある。メンタルが落ちているのだね、と。

 

その上で、僕の場合は基本「何もしない」。特別なことは特にしない。アロマを焚いたり、たき火をしたり、豚の丸焼きを焼いたり、半裸で大声を出してメンタルを上げる人もいるんだろうけども(うん、途中からだいぶん近所迷惑だ)、僕はあまりそういう積極的なアプローチは採らない。

 

しいて言うならば、休む。能動的なアクションを極力減らす。代わりに、自分が「アレやりたい、コレやりたい」と思ったことにはできるだけ飛びつく。自分の「楽しそう!楽しい!」を優先する感じだ。

 

ただし、それは「ふむふむ、今、僕のメンタルは落ちてるね」という実感を伴ってから行いたい。そうでないと、「楽しんでる!!自分!!!イエス!!!!」みたいに、結局「頑張っちゃってる」状態になりやすいから。あくまで僕は、だけれども。

 

「センサーを研ぎ澄ませること」にフォーカス

たいてい、メンタルが落ちるときは「頑張ってる」のに「人の役に立っておらず(あるいは、認めてもらえないと勝手に感じ)」、「仲間との連帯感を感じられなくなってしまい」、イヤになっちゃうんである。あくまでも、僕の場合は。

 

「だからこそ頑張らなくても楽しい状態」だったり、「頑張らなくても流れに乗れる状態」に自分を持っていくことに力を注ぐ。そういう意味では、自分では何もしない。何か、自分にとって「良さげなもの、こと」が来るのを待つ感じだ。

 

そして、そのセンサーだけ研ぎ澄ませておけば、たいていの場合、何かしら自分にとって「良きこと、良きもの」はやってくる。というか、メンタルが落ちる(落ちている)ときというのは、そのアンテナというかセンサーが鈍っていることが多い。

 

生きていて「ロクでもないこと」ばかりが立て続けに起こる人なんて、そう多くはない。一見「ロクでもないこと」に見えても、見方を変えれば「結構ラッキー」ということだってある。

 

今回のは、自分的には意外なくらい唐突に来て、意外なくらい長く続いた。と言っても、2~3日のことなのだけれど、通常ほとんど引きずらない僕としては、これでも長い方だったのだ。

 

だからこそ、学んだこともある。だからこうして、ブログをしたためている。なんかこう、ちょっとしたことで落ち込んだり、楽しくなくなったり、なんかめんどくせーなと感じてしまったときは、思い出してみてもらえたらうれしい。

 

そして、これからの僕自身にも敢えて言いたい。「メンタルが落ちることだってあるよ、人間なんだから」。