特殊能力者が集まる、僕が理想とする世界

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友だちの家で食べさせてもらったたこ焼き。まー、美味しかったことだよ。

 

珍しく、タイトルに近い話から始まる

「特殊能力を持っていたり、人と違う才能があったり、あるいは異形の者だったりする人が、その才能を活かす場を見つけて活躍する」というストーリーが割と好きである。わかりやすいところで言えば、童謡だけど『赤鼻のトナカイ』とか。

 

 

 

最近(のアニメやドラマ)で言うと『Tiger & Bunny』や『SPEC』とか。ガンダムも、『Z』あたりはそのカラーがより色濃い。今思い出したし、ちょっと前の作品だけど『レインマン』なんかもそうかもね。

 

原作を読んではいないし、ストーリーも詳しくは知らないのだけれど『三月のライオン』や『亜人』なんかは、映画化されたストーリーをざっくり聞いて、大変興味を持った。原作読んでみたい(映画見に行こう!にならないのはなぜなのか)。

 

もちろん、作品ごとに色々な描かれ方はあるのだけれど、特殊能力や特別な才能を持っている(あるいは「欠落している」というケースもあるかもしれない)人が、いわゆる「普通の人」から迫害を受け、差別される。それに対して、どう向き合っていくのか・・・みたいなテーマが、僕の中で結構関心があるらしい。

 

一方で、あるいは裏返し、というか、表裏一体で

選民思想」、「選民意識」みたいなものがあまり得意ではない。「コレコレ民族は選ばれし民族」とか「コレコレを信じていれば救われる」とか「私はナニソレ(霊魂とかオーラとか)が見えるから」とか、もっと三次元的な話で言えば「我々はエリート」、「俺たちはキャリアだ、所轄のノンキャリアは黙ってろ」(『踊る大捜査線』からの知識)みたいなものも、あんまり好きじゃない。

 

話は少し横道にそれるけれど、一般的には「見えない」と言われているものが見えてしまって、それはそれで辛い人もいると思う。そういう人には、ホントに慰めの言葉をお送りしたい。そして、あなたにそれが「見えている」ということは、何らかのお役割が与えられているはずですよ、とお伝えしたい。

 

霊魂もオーラも、一般的に「目に見えない」と言われているものが一切見えず、どちらかと言えばフツー、かつ、人から選ばれない方の立場にいる機会が多かった人間である僕としては、何か特別な能力や才能を持っている人に憧れてもいるらしい。

 

「特殊能力」を持ち寄って、支え合う社会

僕が理想とする世界は、色々ある。それは別に、今がバツで、良くない世界だからということではない。もちろん今現在もこの世界は素晴らしくて、美しいのだけれど、それがもっと良くなる、さらに理想に近付いていくためには、どんなことが必要だろうか?を考えている。

 

それで言うと、僕が理想としているのは「人がそれぞれの才能を持ち寄って、それを活かして活躍できる世界」だ。

 

ちょっと前に書いたこととは矛盾するようだけれど、僕は、人は一人ひとり、それぞれに「特殊能力」を持っているんじゃないか、と感じている。それはタイムスリップをできるだとか、死んでもすぐ生き返るだとか、そういう「とんでもない」能力ではないかもしれないけれど。

 

本当に、個々人が特殊能力を持っているかどうかは、良くわからない。ただ、人はそれぞれに「好きなこと」、「得意なこと」があって、それはある意味「特殊能力」と呼んで差し支えないんじゃないかと思う。

 

僕は数学が大の苦手で、数字の羅列や数式、方程式を見るのがとても苦手である。論理的に物事を考えるのもあまり得意ではないし、着実かつ的確に物事を進めるのは性に合わない。でも、そういうのが得意な人もいるし、そういうことが求められる職業、お役割も確実にある。

 

例えば、僕はたぶん、電車の時刻表や運行計画を立てるのには向いていないし、やりたいとも思わない。僕が立てた計画に沿って電車を走らせたら、どこかで事故を起こすか、何時間待っても電車が来ないなんてことが起こり得るんじゃないかと思う。だから、そういうことは得意な人にお任せしたい。

 

代わりに、僕が得意なこと、できること、やりたいことで社会に貢献するつもりはある。それがたぶん、僕にとってのミッションであり、お役割であり、あるいは「志」と呼べるものなのかもしれない。

 

「人間の才能の総量は決まってるんじゃないか」説

もう一つ考えていることは、人間の才能の総量というのは、実は決まってるんじゃないか、ということだったりする。例えば、人間の才能は一律100と決まっていて、それぞれの才能というか、パラメーター(と呼ぶのが適切かどうかわからんけれども)に、その100がどのくらい割り当てられているかによって、その人の才能が決まってるんじゃないかと思う。

 

例えば、歌がむちゃくちゃ上手い人は、歌が上手い(もしくは、それにまつわる細かなパラメーター)に100のうち、多くの才能が割り当てられているのかもしれない。ビジネスの分野で成功している人には、そういう才能が多く割り当てられているのかもしれない。僕がなぜそう思うかと言うと、時にある分野で天才的な才能を発揮する人が、別の分野ではポンコツというケースも多々あるからだ。

 

僕らはつい、目に見える才能を持っている人たちに注目してしまいがちだ。そりゃー、絶世の美男、美女や聴いた人を感動させる歌声、ベストセラーを連発できる小説を書ける文才、ビジネスで巨万の富を獲得したとかとか、そういう才能が、今の時代にはうらやましく感じる。

 

でも、もう一度言う。僕らは一人ひとり、何らかの特殊能力を持って生まれてきているんじゃないか。それは、ひょっとしたら稲穂のベストな刈り時が一目でわかるとか、雨を降らせることができるとか、そういう今の時代には生かしにくい才能かもしれない。それでも。

 

そういう個々人の特殊能力(得意なこと、と言い換えても良い)を持ち寄って、活かしあえる世界が作れたならば、僕らはもっとハッピーになれるんじゃないか。そんな風に感じている。

 

そういう、一見氣付きにくい、あるいはどう活かしていいか分かりにくい才能を持っている人も、自信をもって輝ける世界、その人の特殊能力を活かせる世界を、僕は理想として掲げていきたい。