『字源の世界』を知る

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最近、インプットの機会が多い。意識的に増やしているのもあるけれど、人からお誘いを受けることも多いし、「これは何か面白げ」と、自分のアンテナが反応することも増えた氣がする。

 

なので、色々インプットしたことのアウトプットもしたいのだけれど、追いついてない(笑)。しかも、途中で竹原ピストル愛を語り始めちゃったりするもんだから、余計追いつかない。

 

とりあえず、今回は直近で参加してきた「字源の世界」について書きたい。今後の予定としては、友人であり、とても素晴らしいブログを書いてくれているマサルさんにお誘いいただいたイベント「YeLL Dialogue Night」についてと、僕が敬愛する惣士郎さんのセミナーに参加してきた話を書きたいなと思っている。

 

宣言すりゃ書くだろ、的な感じで自分にプレッシャーをかける(笑)

 

書道家・遠藤夕幻という男

僕の友人に遠藤夕幻という書道家がいる。知り合って1年くらいなのだけれど、人との境界線を割とはっきり引きがちな僕にしては珍しく、初対面からあまり他人という感じがしない存在である。

 

ついでに言うと、お互いがお互いの家に行ったことがあるという点でも、割と珍しい存在ではある(笑)。

 

さて。その彼が登壇(というのかな)するイベントが、今回のテーマである「字源の世界」だ。読んで字のごとく、文字の根源を探って、その意味を改めて知ろうじゃないか、という目的のイベントである。

 

生粋の漢字マニア、夕幻

このイベントに参加して思ったのは、夕幻という男が漢字愛にあふれた男であるということだった。白川静さんという研究家がまとめ上げた「字統」という辞書を使って、甲骨文字から篆書などを経て現在の漢字に至るまでの変遷を見ていく。

 

そもそも、その情熱がスゴイ。僕ならここまで追っかけるだけでヘロヘロになる、というかイヤになる(笑)。

 

それを夕幻くんは硬軟織り交ぜつつ、マンガ(大のマンガ好きでもある)ネタなども織り交ぜつつ、実にわかりやすく説明をしてくれる。

 

例えば「雷」。なぜ「雨+田」で稲妻になるのか、確かにずっとピンと来ていなかったのだけれど、どうやらここでの「田」は田んぼではなくて、象形文字的に「太鼓」を指しているらしい。

 

つまり、太古の昔、人々は雷は雷神さんが太鼓を鳴らしているイメージをしていた、というわけ。そう聞くと、ははあなるほど、となる。

 

甲骨文字は象形文字の一種だから、形で意味をあらわす。そんなわけで、「雨」から「巫」という文字が派生したりする。雨乞いを行うのは、巫女や巫覡(ふげき)と呼ばれる呪術者の役割だったからだ。それだけ、昔の人にとって「雨」というのは恵みであり、大切なものだった。

 

そう教えてもらえると、なるほどねー、にもなるし、とても納得がいく。

 

■てな具合に、昔の人々に思いを馳せる

そして、甲骨文字を使っていた人たちの時代背景を見てみると、その漢字がどういう意味を持っているのかが、より理解できるようになる。さらに、漢字(というか甲骨文字)に込められた意味が分かるようになってくる。

 

例えば、「祭」と「祀」の違いについて。確かに、両方「まつり」と読む。でも、この講座に来るまで考えたこともなかった。

 

夕幻くんの解説によれば、(端折るけど)「祭」は神様にお供え物を捧げているところを表現している。そして、ここで指す神様というのは主に「祖」、自分たちの祖先だったり、先達のことを指しているんじゃないかという。

 

一方、「祀」の方はしめすへんに「巳」と書く。巳は龍の化身であり、自然神、自然崇拝を表している。つまり、土地の神様に対する「まつり」を言い表しているのだと言う。なーる。

 

つまり、我々の祖先はもともと、「祖」(自分たちの祖先や先達)を神様として崇めると同時に、自然そのものにも神が宿っている、あるいは、自然そのものが神様として考えていたらしい。だからこそ、自然に対する畏怖の念があったし、自然の中で、自然と共生するという意識があったんじゃなかろうか、と思う。

 

単に漢字のお勉強というわけではなく、昔の人がどういう自然観・世界観を持ち、どんな社会で生きていたのかを、漢字の成り立ちを通じて学ぶ。そういう意味で、ホントに興味深いイベントでした。