世界はそれを執着と呼ぶんだぜ

 
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photo by chisako

 

 

どうも。毎度毎度、自分が思ったことを好き勝手に書いているブログですが、今回は特にエモい(使い方、合ってるだろうか)内容になりそうです。なんともはや。でも書く。

 

基本的に、いつ死んでもいいと思っているし、いつ死んでも良いように生きていようとも思っています。

 

例えば、このままだと地球に隕石が衝突して、地球が消滅してしまう!それを防ぐためには、隕石が大気圏の突入する前に破壊するか、コースを変えるしかないんだけども、そのためには誰かが隕石に穴をあけて、その中心でダイナマイトかなんかを爆発させないと・・・なんていう状況があった場合、僕はぜひ、そのクルーに加わりたいなあと思っている。

 

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ええまあ、ハリウッドバカですよ(笑)。でもまあ、実際そう思っている。ただ、本当にその時が来た時に、元気よく「ハイっ!」と手を挙げられるかどうかまではわからない。

 

♪ピッチャービビってる~ヘイヘイヘイ

この、有事の際に「ハイっ!」と元気良く、何のためらいも躊躇もなくクルー募集に手を挙げて、エアロスミスの「ミス・ア・シング(I Don't Want to Miss a Thing)」のメロディが流れる中、意気揚々と宇宙船に乗り込めるか?というと「正直わからない」あたりに、今回のテーマがある。

 

そう。僕は未だに「恐れ」を感じている、と思う。そういうことを直視せざるを得ない状況が、最近ちょくちょく起こっている。何かを失敗したり、手放したり、人から嫌われたりするのをとても恐れている自分がいる。

 

要するに、「ビビってる」自分がいる。

 

まさにピッチャービビってる~ヘイヘイヘイ状態なわけだ(野球部経験者にしか伝わらんネタ)。

 

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↑つうか、なんすかコレwww

 

「僕は人見知り」キャンペーン((C)ひすいこたろうさん)

以前の僕は、色々なことから体よく「逃げてきた」ことに氣がついた。

 

例えば。昔の僕は自分のことを話すのが嫌いだったし、なるべく自分の話をしないようにしていた。それは、「こんなことを言ったら嫌われるんじゃないか」、「こんなことを言うとオカシイと思われるだろう」と、ブレーキを踏みまくっていたから。

 

こと、異性に対してはそれが顕著で。こちらが相手に好意を持っていても、それをストレートに出すことが大変ニガテだった。だから、当然うまく行かない。

 

なのに、時々「あーもー、らちが明かない!」と思って、ヘンな形で自分の好意を相手に渡してしまって、その後の関係がおかしなことになってしまった経験も(山ほど)あり、いよいよ自分の気持ちや感情をオープンにすることに恐怖を覚えるようになった。

 

おかげで、同性・異性問わず、人間関係において、そういう「おっかなびっくり感」を持ち続けてきた。だから長いこと「僕は人見知り」というキャンペーンを長く行ってきたのである。

 

人見知りキャンペーンについては、天才コピーライター・ひすいこたろうさんが、とても分かりやすく書いてくれてる、というか、これを読んで「そうなんだ!」と思ったので、ぜひ。

 

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その「執着」を手放そう

で。最近、そういう自分を多少なりとも変えていこうとは思っている。

 

今年の4月に15年連れ添ってきた(という言い方は、あまり好きではないんだけど)パートナーの籍を抜いたこともあって、より強く、そう思っている。でもやはり、まだその恐れはあるようで。

 

僕はその「失敗する」とか「拒絶される」ことが、たまらなく恐ろしいんだね、ということに氣が付いた。

 

で、これって「執着」だなと思ったのだ。上手くやりたい、スマートに物事を進めたい。あるいは、目の前にいる女の子と付き合ったり、良い関係を続けたいと願う。それはまさに「執着」だろう。

 

執着(しゅうじゃく、abhiniveza अभिनिवेश (sanskrit))とは、仏教において、事物に固執し、とらわれること。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きとする。

(引用:wikipedia「執着」)

 

冒頭書いたとおり、本当に「いつ死んでもいい」と思っているならば、ちょっとした恥ずかしさや失敗や、拒絶されることなんて、大したことじゃないだろう?と、自分でも思う。ちょっとでも「拒否されたら、イヤだな、恥ずかしいな、この人との関係が終わっちゃうな、周りにどう思われるかな」と思っているから、動けないわけだ。

 

でも、もし、明日死ぬとしたら、そんなことを考えている場合だろうか。明日の朝には「ミス・ア・シング」のメロディが流れる中、ケネディ宇宙センターから隕石をぶっ壊すために宇宙へ飛び出していくんだとしたら。

 

それは、恋愛に限った話ではない。仕事面でも似たようなことは起こるし、友人関係でだって起こり得る。

 

失敗したくない、手放したくない、失いたくない。でも、このままの状況にも満足はしていない、みたいな。

 

ひょっとすると、だからこそ一度、手放してみることが必要なのかもしれない。自分の意思や思惑で相手や状況をどうこうしよう、という意識を一度捨てる。んで、委ねる。自分はこう思ってるんだけど、どう?みたいな。

 

相手が僕の好意をどのように受け取るかは、相手に委ねられるべきテーマであって、こちらがどうもこうもできる種類のものではない。

 

だから、とりあえず自分の率直な感情を出してみて、相手や状況に判断を委ねる。その結果、それまで築いてきた関係性が壊れてしまうのも、まあ仕方がないよね、と。

 

 

こんなブログを書いたところで、何の解決にもならないことは百も承知である。でもこれは、僕自身の修行、あるいは納得のために書いている。でも、どこかで誰かの心に響いて、役に立ったらいいなとも思っている。

 

少なくとも、僕の役には立っている。「誰かに読まれる!」と思って書くことで、自分のココロの在り様が、よりわかる氣がする。ありがとう、読んでくれた皆さま。そして、ありがとう、はてなブログ