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働くことと「働きたい」と思うこと

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photo by chisako

 

収入がなくても生きていけるとしても、僕は、何かしら仕事をするんじゃないかなー、と思っている。

 

例えば。

 

どういう事情でもいい。僕が億万長者になったとして、この先一生収入がなかったとしても、全く生活に困ることもないし、何なら利子だけで生活費が賄えちゃいますよ、という状態になったとする。いや、もう既に、そういう状態にある(とする)。

 

働かなくていい。仕事なんてしなくていい。毎日遊んで暮らせる。そういう状態にあるわけだ。

 

まあ、簡単に言えば、一生遊んで暮らせる。それでも僕は、何か仕事をする氣がしている。

 

■お金があるからこそ、やりたい仕事

遊んで暮らせる今(そうなった体で書く)、一番やりたいことは農作業かもしれない。

 

街から少し離れた、海からも近い里山を一山買い取る。できれば、小さな古民家なんぞついていると、なおありがたい。

 

僕はそこで、まず畑を耕し始める。田んぼも作ろうかと思うけれど、まずは野菜と大豆を作る。むろん、無農薬だ。できれば自然農でやりたい。

 

まずは、自分で食べる分を作る。自分で食べる分以上できたら、ご近所さんにあげるか、無人販売所でもこさえて置いておく。

 

「農作業なんかしなくたって、食べ物なんていくらでも買えるでしょ」、「自分で土なんか耕さなくても、人にやらせればイイじゃないですか」と人は言うかもしれない。

 

でも、僕は答える。「これは僕がやりたくてやっていることです」。

 

また、ライターの仕事も続けるだろう。自分が興味を持ったテーマや、内容を書いて、細々でも収入をいただく。「この期に及んでカネを稼ぐのか」と言いたければ言えばいい。僕は、やりたくてやっている。

 

■「働く」ことの意味とは

「働く」とは、「はた(そばにいる人、第三者)を楽にする」が語源と言われています。まあ、諸説あるようですけども、僕はこの説を案外氣に入っている。

 

余談ながら、「働」という漢字は中国にはなくて、「労働」は「労動」と書くのだそうな。人が動いて、働く。僕はこの漢字も結構好きだったりする。

 

「仕事」も、仕える事、つまり、他人のために何かすることを指していると考えられる。要するに、古来から日本では「働くこと」や「仕事」を誰かのために動くこと、することだと考えていた、ということだろう。

 

そして、僕はこの考え方に100%同意したい。だから、金があるから働かなくていいという発想にはどうしたってならない。何らかの形で、働きたい。

 

■「働く」ことは喜びである

もちろん、お金がガッポガッポ入ったら、僕の考えも変わるかもしれない(笑)。金利の良い金融商品かなんかで運用するか、ファンドマネージャーでも雇って、アガリで生活しようとし始めるかもしれない。それは、なってみないとわからない。

 

ただ、今の僕の感覚としては、「働く」ことは喜びだし、楽しいことだと思っている。当然、そこには金銭の授受が発生することになる。ただ働きをしたくないわけではないけれど、自分が提供した価値が、何らかの形で返ってきた方が、そりゃ嬉しい。

 

自分が得意なこと、できること、好きなことを人様に提供して、対価をもらう。こんなにうれしいこと、楽しいことがあるだろうか、と思う。

 

とは言ったものの、 「働きたくない」、「遊んで暮らしたい」という人の考えは、別に否定しないし、そういうご意見もあって良いと思う。ただ、僕の場合は、誰かを楽にしたり、誰かのためになったり、そういう形で人々の間で生きていく方を選びたい。

 

働くことと、お金とを結び付けすぎると、ワケワカメになる、と僕は思っている。仕事や働くことは、はたを楽にするため、自分が自分として人様に価値を提供するためにすることであって、つらいことでも、面白くないことでもない。

 

ただ、その価値が人様にとって意味のないものであれば、それは残念ながら「仕事」にはならない。この辺のさじ加減が難しいけれど、また面白いところでもあるなあ、と思っている。

 

そのあたりについては、また書くかもしれない。じゃあまた。