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グッド・ルーザーについて。


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photo by chisako
 

 

基本的に、勝負事というのを好まない。というか、できる限り勝敗がつく世界からは遠くにいるようにしてきた。でも、少しずつ認識が変わりつつある。

 

 

唯一の例外はスポーツで、サッカーにしろ野球にしろ、勝敗がはっきりつくものを好んでみる。プロレスも。でも、そのくらい。

 

特に、自分が何かの勝負事をするとか、勝ち負けがはっきりする場面に身を置くということは、ほとんどしてこなかった。

 

そもそも、自分が「負けるのが嫌い」だから、ということがある。こう書くと「負けず嫌い」のように見えるかもしれないけれど、そうではない。

 

自分が「負ける」、「負けた」ということを認めることが悔しいし、嫌だし、妙なプライドがそれを許さないのだと思う。

 

だから、「いや、勝ち負けとかどうでも良いし」というスタンスで、自分を守るというか、そのシチュエーションから逃げてきた。

 

良いも悪いもなく、今まではそういう感じだったんですねー、というくらいで読んでいただけるとありがたい。

 

負けるのが嫌だ、という感情は、おそらく誰にでもある。でも、そこから「だから、勝つために努力するんだ」というところに行くのか、「だから勝負をしない」というところに行くのかで、行動はまあ、変わる。で、僕は勝負を避けるという選択をし続けてきた。

 

駄菓子菓子。僕の考えは変わってきた。勝負はするべきものかもしれない。勝とうが負けようが、「勝負する」ことは、それそのものに大きな価値があるのだ、と思い始めた。

 

■勝負は「優劣をつける」ことではない

勝負というのは、優劣をつけるためにするものだと思い込んできたけれども、そういうもんでもないのだな、と最近思い始めている。

 

さっきも書いたけれど、「勝負」をするということになれば、そこに参加する人たちは皆、それぞれにそれぞれなりの努力をする。

 

勝負に勝つために、それぞれの戦略や戦術、戦い方のプランを練る。そうすると、そこには「優劣」だけではなく「違い」が生まれてくる。

 

例えば。サッカーで言えば、大物ストライカーをバンバン集めて、攻めて攻めて攻めまくるというチームもあれば、個々の選手のスキルを磨いて、細かいパスワークで相手のスキをつき、仕留めるという戦術もある。守備時はとにかく人数をかけて守って、攻めの時には少ない手数と人数で少ないチャンスをものにする、というカウンターサッカーだってある。

 

ルールを守っている以上、どんなやり方だってあって良い。攻め切ることを志向するチームが、カウンターを強みとするチームと対戦して1‐0で負けたとしても、それはもう、そういうもんだと諦めるしかない。

 

さらに、審査員が評価するようなスポーツになってくると、話はさらにややこしくなる。

 

フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングなどは、ある程度のルールや技術点はあるにしても、「芸術点」なんてのは結構、審査員の心象や裁量に任される部分が多い(氣がする)。

 

だから、観客の目からは「こっちの勝ちじゃないの?」と思っても、違う結果が出たりする。これもこれで、そういうもんだと言うしかない。

 

■相手を通して「己を見る」

勝負することは、さっき言ったとおり、自他の戦力の違いや個性の違いを見極めて、自分にあった戦略・戦術を採用するところから始まる。となると、まずは自分を見極めることが必要になる。

 

自分は何が得意で、何が不得意で、相手と比べるとどういうところが優れていそうかと考える。それは、勝つためでもあるけれど、自然と「自分を磨くこと」につながっていく。自分の特徴、得手不得手を知ることで、自分をよりよく知ることになる。

 

つまり、他者を通じて己を改めて見つめる機会になるわけだ。

 

そして、勝負する。ハイレベルになってくればくるほど、「差」はなくなり、ただただ「違い」が際立ってくる。

 

サッカーで言えば、強力なストライカーや攻撃陣を誇る「矛」を持ったチームと、チームワークと個々の能力の高いディフェンダーを揃えた「盾」の対決になるように。

 

そこには「どちらが強い」、「どちらが優れている」という差はない。お互いの「違い」が際立つだけの世界が広がる。

 

■勝って得るもの、負けて得るもの。

そして、勝敗がつく。

 

フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングの場合は特に、「勝ち」、「負け」の根拠や意味を見出しにくい。特に、ハイレベルになればなるほどに。

 

そこで「今日の審査員は相手びいきだった」と、自分を慰めることもできるかもしれない。でも、たぶんハイレベルな戦いを繰り広げたグッド・ルーザーは違う。

 

「改めて、自分を磨き直そう」と考える。

 

勝負の舞台に立たないということは、自分の世界だけで生きるということだ。その世界で、「オレ、スゴイ」というのは、ある意味簡単かもしれない。

 

でも、敢えて勝負する。勝てばもちろんうれしいし、得るものはある。でも、負けた時に何を得るか、何を受け取るかも、とても大切なことなんだな、と、最近思い始めている。

 

勝負しなければ、勝つことはない。だから、勝つことの喜びを知ることもない。

 

勝負しなければ、負けることもない。だから、自他の違いや、自分の本当の強みに、氣付くきっかけも得られない。

 

そんなことを、最近、ある人の生き様から教わった氣がする。本当にありがとう。

 

勝負しよう。