何かに氣が付けば、それはもう変わり始めているよ、ということについて

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Photo by chisako

 

「氣付く」または「わかる」あるいは「理解する」。もっと簡単に「知る」という表現でも良いかもしれないけれど、とにかく、「ああ、そうなんだよね」と認識することって、非常に大切だと思う。

 

 

例えば、自分が人間で、男性だとわかっているから、僕はとりあえず女子トイレや女子風呂に入ることはない。例えば、僕がトランスジェンダーだったとしたならば、「ああ、僕は男性だけれども、男性を好きになる生命体なんだな」と把握できればいい。

 

まず、認識できた時点で前進。ものすごおおおく大きな一歩である。

 

で、そいつを「受け止める」ということが必要になる。「自分が男性である」なんてのは、人口の半分くらいは男性なんであって、別になんということはない。「ふうん」くらいで済む話だ。

 

でも、世の中にはもう少し受け止めるのが難しい(と思われている)こともある。「どうして自分はこうなんだろうか」、「もっとこうだったらよかったのに」と思うことがある。

 

例えば、前回のブログでも書いたけれど、僕はずっと自分が引っ込み思案の人見知りだと思ってきた。そういう性格なんだ、と思い続けてきた。そして、それは「あまり喜ばしくないこと」だと思い続けてきた。

 

あああ、もっといろいろな人とフランクにお話したり、気軽に話しかけたり、明るく楽しい性格にだったらよかったのに、あるいは、そのように行動できれば良いのに、と思っていた。

 

そういうのはきっと、人それぞれにあるはずだ。集中力がないとか、人前でしゃべるのが苦手とか、女の子が好きすぎるとか、「どーしてこうなんだ?」と、自分でも思ってしまうような何かが。そして、自己嫌悪に陥ったりもする。

 

■のだけれど、ちょっと待て

僕の場合、「そのように考えている」ことに氣が付いたのだ。そして、誰とでもすぐに仲良くなれる人になりたいと思っていることにも氣付いた。となれば、話は簡単だ。

 

そうなればよい。

 

それができれば苦労しないよ・・・と、昔の僕なら思っていたはずだ。そのとーり。でも、まず理想を描けば、意識が変わる。意識が変われば、思考が変わる。思考が変われば、行動が変わる。そうなればシメたものだ。あとは理想に近づいていくだけである。

 

そして、ここで「仕組み」を嚙ませると更にうまくいく。例えば、知らない人が一人もいない(けど、自分がとても興味のあるイベント)に参加してみる、とか、何かのきっかけ(例えば人と目が合った、とか)があったら、必ずその人と会話をしなくてはならないルールを自分に課してみる、とか。

 

これらのことは、今僕があくまでも思い付きで書いてみただけなので、実際にやっていることではない。でも、試してみてもよいかもなとは思っている。

 

ともかく。自分の弱みやダメなところに氣付いて、認識できたのならばマルだし、それを何とかしたいと思っているのなら、なおのこと素晴らしいことだ。そして、そう意識を向けた瞬間から、すでに現実は変わり始めている。

 

「自分はこうだから、仕方がない」、「ありのままでエエんや!」と思うのならば、それもそれで良いと思う。そういう生き方もアリだ。

 

ただ、僕は現状よりも自分が良くなる、あるいは「快適である」状態が見えているのなら、その方向に進みたいなあと思う。

 

後は、「そうなるように」「そうせざるを得ない」状態に自分を持っていけばよい。そうすれば、どんどんそっちの方に転がっていくはずだ、と思っている。

 

以上、自分に言い聞かせているブログを終わります(笑)。