僕にとっての「働くこと」

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最近、僕が敬愛している書き手の一人に田中泰延という人がいる。元関西電通のコピーライター(らしい)で、今は辞めてコラムニストというか文筆家というか、本人は「青年失業家」と名乗ってる。しかし、青年て何歳くらいまでかね。別に良いけど。

 

んで、この田中さん(ヒロノブさん)が、こんなコラムを書いていた。僕はこのコラムを読んで、激しく感動というか、心を動かされた。

 

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■君のクライアントは誰か

このコラム、刺さりポイントがいくつかあってアレなんだけども、特に刺さったのがこの一言。ヒロノブさんが在りし日の父から掛けられた言葉だそうで。

 

君を働かせるのは、君自身であるべきだ。お前のクライアントは、お前だ

 

おおう。

 

会社のために働くことも大切だけれど、それ以上に大切なのは、自分のために、あるいは「自分が見たい世界のために」働くこと。そこまでは書いてないけれど、僕はそう読んだ。

 

僕の中では「働くこと」は「お金を稼ぐこと」よりも「自分の力を社会のために生かすこと」であり、「その結果、自分が見たい世界に近づくこと」だと考えている、というか、この文章を書いていて氣がついた(笑)。

 

「自分の力を社会のために生かすこと」ができれば、当然ながら何らかの報酬が得られる。だって、社会のためになってるんだから。まあ、ひょっとすると、直接そのことで収入が得られる訳ではないかもしれないけれど。

 

■ヒロノブ父は、こうも説く

「ひとりになれ。ひとりで考えよ。そのひとりの時間に、爪を研ぎ牙を磨きなさい。そうすれば必ず道は拓ける」

 

仲間が助けてくれる、コミュニティーがあるから生きていける。もちろん、そういう考え方もあるし、それは否定しない。というか、それとこの「ひとりになれ」というのは、両立するんだろう。

 

ひとりの時間を大切にして、充実させられなければ、みんなといる時間が有意義になることはない。僕はそう思う。

 

何度も言うが、ヒロノブさんもヒロノブ父も、こんなことは全く書いてない。僕が勝手に思ってるだけだ。

 

さて。僕なら、今の自分に何を発注するだろうか。どうやって、爪を研ぎ、牙を磨くだろうか。そんなことを考えている。