わし流映画鑑賞録『彼らが本気で編むときは、』
『かもめ食堂』、『めがね』などの作品で知られる、荻上直子監督の作品。とか、エラソーに書いてみたけれど、僕はこの2作品とも観たことがない。だから、どういう作風の人かも知らない。ただまあ、そんなにバイオレンス!とか、スプラッター!ではないよねとは思ってたけど。
■ネタバレ前提であらすじをざっくりと。
あらすじをざっくり説明すると、物語は、シングルマザーのヒロミが一人娘のトモを置いて男と蒸発、トモがヒロミの弟にあたるマキオの家に厄介になるところから始まる。
マキオは、トランスジェンダーであり、ヒロミとマキオの母が入居する老人ホームで介護士を勤めるリンコと同棲している。
最初はリンコに拒否反応を示すトモだが、少しずつ心を開きはじめ・・・という話。それ以外にも、例えばトモの同級生に同性愛者(あるいはトランスジェンダーか)の子がいて、とか、ヒロミとマキオの母親は認知症で、とか、色々な話が縦糸、横糸を織りなす。
■これも「疑似家族モノ」
これも、カテゴリー分けするとするならば、僕の好きな「疑似家族モノ」と言えますね。「ゲイカップルと子ども」という文脈で言えば『チョコレートドーナツ』(邦題が悪すぎる)という名画もありましたね。『チョコレートドーナツ』は、ゲイカップルとダウン症の子どものお話。『彼らが本気で編むときは、』も、トランスジェンダーと男性のカップルと子ども。
『チョコレートドーナツ』も大変良い映画なので、ぜひ。邦題が悪すぎる、と言った意味が分かってもらえるはずです。
■この映画は、対照でできている
まあ、何事もそうかもしれないけれど、この映画は特に、対比を際立たせているように感じる。例えば、男と女。大人と子ども。LGBTに理解のある人、ない人。子どもが性的マイノリティであることに理解のある親、ない親。恋人とのパートナーシップがうまく行ってる人、上手く行かない人。差別する側、される側。
どこまでも対照で描かれる。
んで、僕はこの映画を観た感想として「LGBTにもっと理解を示しましょう!」というのとは、ちょっと違うよな、と思った。いや、それはもう、当たり前の当たり前、前提としてあるけれど。
ちなみに、トランスジェンダーへの偏見、差別はそれこそ、イヤってほど描かれる。時に悲しくもなり、時に憤りも覚えるほどに。それもそうなんだけど、それは、この映画が描こうとしたテーマの一側面に過ぎないのではないかと。
■この映画は、何を言わんとしているのか
この物語は、全ての「弱き人たち」に対して、愛を贈ろうとしてるんじゃないかと。
映画には、たくさんの「弱き人たち」が登場する。リンコさんのようにトランスジェンダーで、世間から差別や誤解の眼で観られている人。痴呆症で、施設に入っている人たち。大人の庇護を受けないと生きられない子どもたち。自分の子どもは大切だけど、自分の人生も棄てきれないシングルマザー。痴呆症の親を施設に入れることに引っかかりを覚えている息子。
この映画に登場する人たちは、それぞれに悩み、迷っている。悩みや迷いの深さはそれぞれではあるけれど。でも、私は勝手に「それでも、生きていこうよ」というメッセージを受け取った。
人はそれぞれに、悩みや迷いを抱えながら生きている。怒りを覚えたり、悔しい思いをすることだってある。リンコさんはそんな時、怒りや悔しさが通り過ぎるまで、じっと待つという。「それでも通り過ぎないときは?」と重ねてトモに尋ねられたリンコさんは、編み物をするのだという。怒りや悔しさ、時には悲しみや寂しさを抱えて編み物をしていると、いつの間にか、心のモヤモヤが晴れていく、という。
怒りや悲しみや、悩みや迷いや、悔しさや憤りや。そんな色々なものを抱えながら、それでも、生きていく。それは、性的マイノリティであろうとなかろうと、どんな人でも同じこと。僕は、この映画からそういうメッセージを受け取りました。そういう意味でも、とても良い映画でした。