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外食論

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バッファローパン。キン肉マンとか、天山というキーワードが浮かんだ方はナカーマ

 

僕はあまり外食をしないほうだけれど、「自分が好きな店」、特に個人でやってるお店がいくつかあるというのは、とても良い感じがする。

 

僕はどちらかと言えば(と言うよりも、圧倒的に)人見知りで、人と話すのが得意でないので、常連になって店の人と談笑する、なんてのは苦手である。また、酒が呑めないので、酔った勢いで隣の常連と仲良くなる、なんてことも(今までのところ)ない。

 

それでも、自分が「この店は好きだな」、「信用出来るな」店で食事をするというのは、それだけでとても嬉しい。

 

■店や、出された食事に対する敬意

そういう店に行くと、自然と店自体や働いている人、お客さんに対して敬意を払うようになる。自分が好きな店を切り盛りしてくれる店員さんに横柄な態度をとるはずがないし、自分が好きな店で食事をしたり、飲んだりしているお客さんに、文句を言ったりするはずもない。

 

また、提供されたものに対しても、当然ながら敬意を払うことになる。

 

Twitterを見ていたら(やってます。こっそりと)、こんなtweetが流れてきた。

 

 

案の定、荒れてた。まあ、そりゃそうだよね、きっと。

 

ただ、店主の言いたいことも分かる、というか、どちらかと言えば僕は店主支持派だ。「お金を出せば、客は何してもいい」なんてことが、あるはずがない。

 

飲食店にも色々あるけれど、どの店だってそれなりに精魂込めて食事を作り、提供しているわけだ。それを面白半分に注文して、残す。

 

これは、作り手はもちろん、命を捧げてくれた食材に対しても冒涜だ。到底許されるものではない、と僕は思う。もうこれは、金を出してる、出してないの問題ではない。

 

「金払ってるから良いじゃないか」という人は、まず、「金を払ってる人が偉い」と思ったら大間違いだ、と申し上げる。

 

本来、自分でめしを作らねばならないのに、代わりに作ってくれる。そのお礼にお金を払ってるだけであって、「金を払ってる客が偉い」なんてことがあるはずがない。

 

逆もまたしかりで、やたらと客に文句を言ったり、食い方にいちいち注文を付けたり、オーダーの伝え方がままならないと不機嫌になるような店もまた、何かを間違っていると思う。

 

それから、「金を払ったから、残そうがどうしようが勝手」という人には、あなたのために命を捧げた食材と、あなたのために時間と手間を割いて、精魂込めて食事を作ってくれた人双方に対する敬意がない、と言っとく。

 

大盛にするなら(意地でも)残すな。これが僕の大盛道である。

 

■自然と感謝が生まれる

自分が好きな店、良い店に行くと、自然と「ありがたいな」という気持ちになる。めしを作るのは、決して楽なことではない。これは、自分で作ってみれば分かる。

 

例えばラーメン。きちんとスープを取ろうと思ったら、かなりの時間と手間がかかる。信用できる店、良い店は、それをきちんとやってる。仕事だから当たり前、と思うかもしれないが、そう簡単なことではない。

 

客に美味いものを提供したいという店の人の情熱をそこに感じると、「やってくれている」という感謝が生まれる。だから、スープまできっちり飲みたくなってしまう。結果、デブまっしぐらなんだけれども。

 

うどんやそばもそうで。自分で鰹節と昆布でだしを取ってみたりすると、スープを残すのが何というか、申し訳ない気持ちになる。せっかくだしを取ってくれたのに!という気持ちに、自然となる。まあ、塩分過多とかは良いじゃないか、この際。

 

そりゃ、明らかに出来合いのタレをお湯で薄めただけ、というスープならば、僕も進んで飲もうとまでは思わないかもしれない(いや、飲むかもしれないけど)。

 

でも、信用できる店で、明らかにスープまでこだわって作ってる場合は、残して帰るのがどうも忍びないというか、もったいないと感じてしまう。

 

美味しいラーメン(に限らないけど)のために、一生懸命仕事をしてくれたんだなあ、と思うと、全て美味しくいただいてこそだよな、と思ったりする。

 

■お金の使い方も変わる

ついでに、そういう信用できる店に行くと、ケチケチしたくなくなる。むろん、無い袖は振れないけれど、ちょっと高いくらいだったら、まあいいかと思う。

 

例えば、同じ100円でも、「惜しい100円」と「惜しくない100円」がある。

 

例えば、コンビニでおにぎりを買う100円は、僕にとってはちょっと惜しい。できれば、コンビニのおにぎりに100円も出したくはないのだけれど、お腹を満たすには仕方がない、という感じ。

 

一方、好きな店に行って、「並」が700円、「上」が800円だとしたら、たぶん「上」を頼む。その100円は、惜しくない。だって、その分良いものを出してくれることは分かっているから。

 

好きな店、良い店とは、信頼関係でつながるような氣がする。この店なら「価格通り、それ以上のものを出してくれる」という信頼感、あるいは安心感を感じさせてくれるのが、僕にとっての良い店だったりする。

 

できるだけ、そういう店で食事をしたいなあと思うし、そういう店を応援したいなと思う。安かったり、便利なのも良いんだけれど、「僕のために美味しい食事を用意してくれたんだ!」と思えるような店でこそ、めしを食べたいなあと思う。